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小学生の頃は電通の社宅で暮らしていた。現在の半蔵門病院(東京都千代田区麹町1丁目)のあるあたりだ。4階建ての3階。6畳2間の風呂なしの部屋だった。父と母、妹の家族4人で住んでいた。 家庭の食卓で交わした会話を今もはっきりと覚えている。 「5000円で車椅子に乗っている人間をデモ隊の前で転ばせて、それを隠しカメラで写し、『暴行するデモ隊』っていう記事を週刊誌に載せた」 「電通の社員に5000円を渡して、『赤提灯で美濃部の悪口を言え』と頼んでた。『美濃部は女囲っている』『横領している』と」 父は1971年には東京都知事選挙に立候補した、元警視総監の秦野章を応援していた。「革新都政」と呼ばれた美濃部亮吉の対抗馬だった。 食事をしながら「うまくいった」と成功談として語る父に、母は「あなた、そんな話やめてちょうだい」とたしなめた。 三輪の父は、とにかく新聞記者と弁護士が大嫌いだった。「あいつら」と呼んでいた。 テレビのニュース番組を見ながら悪態をつくこともしばしばだった。 「企業から金をとって、デモ隊と弁護士、新聞記者と山分けしているんだ。あいつら共産党だ。金のための汚いことを平気でやるやつらだ」 「水俣病の支援者は日当5000円をもらっている。金が目当てで、悪事を働く奴らだ。デモをする奴らは。会社に押しかけて権利を奪われたとい、真面目な会社を脅して金をもらっている」 「デモ隊にブスが多いのは、美人はいい会社に採用されるからその恨みで大企業にデモをするんだ。その金に群がるのが弁護士と新聞記者だ」 父がなぜそんなことを言っていたのか、三輪は父の言葉を聴きながら、理由はよくわからなかった。父が口癖のように言っていた言葉を覚えている。 「あいつらは金が目当てだ。大企業へのゆすりたかりをする。証拠はある。そうとしか考えられない。それが証拠だ」——。 三輪は「嫌ないやつらを俺たちはやっつける、やっつけるんだからどんな汚い手を使っていいんだ、正義だから許されるはずだ、と本気で思っていた」と生前の父を思う。 「父は〈正義〉をやっていた。本気でそう信じていたんです」 =敬称略 =つづく [プロフィール] 聞き手・木村英昭 (きむら・ひであき) ジャーナリスト。ジャーナリズムNGOワセダクロニクル編集幹事。朝日新聞社を2017年8月に退社、早大を拠点にしたジャーナリズムプロジェクトの立ち上げに参加、現在に至る。 語り手・三輪祐児 (みわ・ゆうじ) 1953年生まれ。市民放送局UPLAN代表。東日本大震災を契機にジャーナリズム活動を開始。3500本以上の動画をYouTubeにアップし続ける。 【彩流社刊行関連書籍】

















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正巳は1925年5月28日、鳥取県南西部にある、山あいの集落、黒坂村(現在の日野町)(*1)で生まれた。岡山県倉敷市と山陰地方の商都・鳥取県米子市を結ぶ伯備線沿いにあり、鳥取県内最大の河川、日野川(全長77キロ)の中流域の左岸に位置する集落だった。旧黒坂村にあたる地域には現在、429世帯・975人(*2)。最盛期の1950年には3578人が暮らした(*)。『角川地名大辞典』によれば、黒坂という地名は「周囲に9つの坂道がありこれを九路坂と称したことにちなむ」そうだ。その名の通り、今も周囲を山々に囲まれ、それはそれは、のどかな時間が流れている。 正巳が生まれたのはそんな集落だった。大正デモクラシーの自由の息吹が息を潜め出し、軍靴の足音が次第に鳴り始める時代だ。治安維持法が制定されたのも、正巳が生まれたこの年だ。しかし、中央での動きが軌を一にするように黒坂の地に届いたかは、わからない。 正巳はこの黒坂の名士の家に生まれた。この地域の大庄屋だった。私家版の『高島健之助・久恵をめぐる人々』(1985年)には三輪家の家系図も載っており、三輪家に残るこんな言い伝えが記述されている。 〈初代甚兵衛より大庄屋として黒坂最古の家柄をほこる。甚兵衛は自費をもって、上菅(かみすげ)から甚兵衛井手(注:用水路のこと)を開削し多くの田地を開いたという。明治以来四代伴吉が黒坂郵便局長となり、六代義胤まで勤めていた。〉 「六代義胤は父の兄で、父は七人兄弟の五男だった。父と家族でお墓参りに行ったことがあって、三輪家の墓はものすごく大きい。よく父は『黒坂は土葬だから、その下に樽が埋まってんだ。腐ってくると、その上を歩いた人がボコッと落ちることもあった。人魂が光っていたことがある』なんていっていた」 この義胤は大酒飲みだったようで、一代で三輪家の身代を食いつぶしたようだ。だから、物心がつくまでは正巳は「名士の坊ちゃん」として不自由のない暮らしをしていたはずだ。そして、兄の義胤の放蕩で家が傾いていく様を、身をもって体験したことになる。 「父は酒を飲む人をものすごく嫌っていた。そして、働かないで金を受給する生活保護者を『パチンコと酒飲んで金もらっている』と憎悪していた。この憎悪は、たぶん義胤のことがあったからなんだろうと思う」 私たちは黒坂を訪ねることにした。 =敬称略 =つづく 〈脚注〉 *1 1913年に黒坂村と菅福村が合併して黒坂村になった。その後、この黒坂村は黒坂町になり、1959年に日野町と合併して現在の日野町に至っている。 *2 2019年10月末現在。。鳥取県日野町役場住民課への電話取材、2019年11月12日。 *3 鳥取県日野町役場住民課への電話取材、2019年11月12日。 [プロフィール] 聞き手・木村英昭 (きむら・ひであき) ジャーナリスト。ジャーナリズムNGOワセダクロニクル編集幹事。朝日新聞社を2017年8月に退社、早大を拠点にしたジャーナリズムプロジェクトの立ち上げに参加(2018年に早大から独立)、現在に至る。 語り手・三輪祐児 (みわ・ゆうじ) 1953年生まれ。市民放送局市民放送局UPLAN代表。東日本大震災を契機にジャーナリズム活動を開始。3500本以上の動画をYouTubeにアップし続ける。 【彩流社刊行関連書籍】








木村英昭
電通に勤めていた三輪祐児の父、正巳(まさみ)は反原発運動つぶしに関与していたのか──。私たちは正巳が生まれ、育った地に立った(*1)。*
[caption id="attachment_500025" align="alignnone" width="640" caption="日野川に沿って広がる黒坂の集落=2019年12月20日、鳥取県日野町黒坂"]
