第24回 僕はウチナンチュ 3
平良 愛香
前回、琉球の人々が1609年に薩摩に侵攻され、「大和めきたる名字の禁止」の通達が出された、という話を書いたところ、編集部の人から疑問が寄せられました。せっかくなので、ここで紹介し、回答(補足説明)をさせて頂きますね。
疑問:
「大和めきたる名字の禁止」や「日本風の姓を名乗ることを許さなかった」について。なぜ日本風の姓がもともとあったのでしょうか。また、「あんたらはもう薩摩藩に征服された人間なのだから、琉球っぽい名前は禁止じゃ!」というならわかりますが、「日本っぽい名前は禁止」というのどうしてでしょうか。
回答:
もともと日本風の姓があった理由についてはよく分かりません。この連載を読んでいる人たちの中に詳しい方がいたら、是非教えてほしいと僕も思います。ただ、日本風の服装などを禁じ、「琉球王国」という名称を残した理由として最もよく聞くのは、「琉球と清の国が親しかった(というより、冊封体制で、琉球国王になるには清の国に行って清王から琉球国王としての就任を認めてもらわないといけなかった)ので、清が知らないうちに日本が琉球を征服した、ということを明らかにするわけにはいかなかった」という話です。また、日本が「鎖国」に入っていたため、貴重な貿易の窓口を失ってしまうことを避けるために、薩摩だけでなく、幕府が「琉球王国」という名称を残した、と言われています。すなわち、琉球を征服・支配しておきながら、「琉球王国」という独立国を表向き残すことで、
・清国の怒りを避けた。(だから清国からのお客さんが来るときは、琉球人は琉装し続けることを命じられた)。
・貿易を続けさせ、日本がそこから吸い上げた。(甘藷〈かんしょ〉やサトウキビや三線などがこの時期大陸から琉球に伝わり、そこから薩摩に伝わり、日本に広がった。だからサツマイモって言うんですね。なんかムカつく)。
ちなみに薩摩の侵攻から琉球処分までの270年間は「近世琉球王国」と呼ばれ、現在でも歴史学者によって「独立国だった」「独立国ではなかった」で意見が分かれます。実はこれはのちに日本のキリスト教での大きな問題(日本プロテスタント150年問題)につながって来るのですが、それは追々書きますね。
薩摩の琉球侵攻から明治政府による琉球処分までは、琉球は「日本」ではなかった、と日本史の教科書では教えています。だって、教科書では1853年のペリーの黒船が初の黒船来航とされていますが、ペリーは浦賀より先に琉球に来航しており、それよりも前にフランス、イギリスの軍艦が琉球には来ているのですから。
ところが実は、1871年に、琉球人(宮古島の漁師たち)54人が漂流した台湾で原住民(イェンツーミン)に殺害された事件が起こり、明治政府は1874年、制圧のために台湾に軍隊を送りました。それが日本初の海外派兵となったのですが、琉球処分によって琉球が正式に「日本」に組み込まれたのは1879年ですし、それ以前に琉球藩を作ったのすら事件後の1872年です 。すなわち、明治政府は既に琉球を「日本の一部」と考えていた、とも言えますし、軍隊を海外に出兵させたくてうずうずしていたのに、征韓がうまく進まずヤッケになっていた政府が、代わりに台湾を狙う口実として「日本国民である琉球人を殺した台湾を成敗してやる」と台湾事件を利用したとも言えます。
さて、今回は「では沖縄ってどこ?」という話をする予定でした。すでに疑問への回答でかなり文字を使ってしまいましたので、今回は導入だけになりますが。
九州島から台湾島までの1300kmの海上に188の島々があります。それが琉球列島です。弧を描いているので「琉球弧」とも言います。さらに、東のほうにある大東諸島と西のほうにある尖閣諸島(尖閣を日本とするかどうかについては、またいずれお話したいと思っていますが)を加えて「南西諸島(199島)」と言われたりもします。けれど、「南西諸島という名称は、明治政府を中心とした日本帝国からの視点ではないか」と言って、無批判に使わないよう気を付ける人もいます。かと言って「琉球弧」についても、「琉球王国が奄美や宮古・八重山を支配下ということへの批判がないのでは」という意味で、使用を慎重に考える人たちもいます。
え~、そこまで慎重に名称を考えないといけないって面倒~、と思う人もいるでしょうし、「じゃあ何て呼べばいいのか」と言われても、正解がないことも多いのですが、それでも名称ってとても大切です。誰が、どういう理由付けでそう名付けたのか、そう呼んでいるのか、ということを一度は立ち止まって考えること、あるいは考え続けることって、疎かにしたくないなあと思うのです。「沖縄本島」とか「先島地方」という言葉は行政でもよく使われますが、「何を基準に『本』島?」「何を基準に『先』島?」と考えると、無批判には使えなくなるのです。
なお、島の数については資料によって数字が異なることもあります。不思議だ!(続く)。
[ライタープロフィール]
平良 愛香(たいら あいか)
1968年沖縄生まれ。男性同性愛者であることをカミングアウトして牧師となる。
現在日本キリスト教団川和教会牧師。