取材・文 伊藤ひろみ
写真提供 Aプラスアカデミー
結婚、出産、転勤、転職、さらに離婚、再婚……。さまざまな人生の転機に、生き方や活躍の場を模索する人たちは多い。しかし、自身で新しくビジネスを立ち上げるのは、容易なことではない。近年、自らの夢を叶えるべく起業した女性たちを取材。明るく前向きに努力を続ける姿は、コロナ禍における希望の光でもある。彼女たちの生の声を聞き、その仕事ぶりや日常に迫る。
自由、そして私らしさ。回り道を経て掴んだもの
Aプラスアカデミー
前川愛奈さん
起業には、必ずしも事務所や実店舗を必要とするわけではない。前川愛奈さん(44)は、自宅の一部を利用し、新規開業にこぎつけた女性のひとり。幼稚園教諭・保育士の資格と経験を活かし、2021年1月、認可外保育施設、Aプラスアカデミーを立ち上げた。

保育士として、母として 日々子どもと接する前川さん。
福岡県出身の前川さんは、15歳で単身渡米し、ペンシルバニアの高校に入学した。英語が得意だったこと、中学2年のときに2週間ほどアメリカでホームステイをしたこと、カトリック系の中高一貫校で中学入学と同時に寮生活を経験し、すでに親元を離れていたことなど、背中を押した理由はいくつかあったが、最も大きかったのは、自由になりたかったから。通っていた中学校は、校則などの規律が厳しく、息苦しく感じていたという。反対する両親を説得し続け、ついに行動に移す。このころの夢は、国際機関で働くこと。好きな英語を使って仕事につなげたい、そのためにも現地で学ぶことが必要、そんな強い思いもあった。
とはいうものの、留学当初は思ったように英語でコミュニケーションも取れず、慣れない生活に戸惑うばかり。持前のバイタリティーと地道な努力で、目の前のハードルをひとつひとつ乗り越えていった。学校内には、韓国、台湾、香港、タイなどアジア圏からの留学生も少なくない。アメリカ人との交流はもちろん、異なる文化背景を持つクラスメートたちとの出会いは貴重な経験となった。無事高校を卒業し、オレゴン大学へ進学した。
大学1年のとき、前川さんの人生が大きく転回することとなる。語学留学生としてやってきた日本人男性との運命的な出会い。すぐにつきあいが始まり、世界が一変する。彼が1年間の留学生活を終え帰国の途につくとき、前川さんはあっさり大学を辞め、彼と行動を共にする。帰国後、東京にある彼の実家でしばらく過ごしたあと、今後に向けての準備のため、いったん福岡へUターン。ほどなくして、帰国子女枠で東京の短期大学を受験する。入学に合わせて上京し、新たな道へと舵を切った。
大学では、保育を専攻した。これまで培ってきた英語力を生かすことも考えたが、資格が取れる学びを、という家族のアドバイスを受けての選択である。2年後、保育士資格を取得。新宿区の採用試験に合格し、区の保育施設で働き始める。就職した翌年、彼との結婚も果たした。
保育の現場に立ち、さまざまなバックグラウンドを持つ園児たちと向き合う日々。新宿区という場所がら、外国籍や外国人の親を持つ園児も増えていた。保護者とのやりとりも一筋縄でいかないことも多い。アメリカ留学時代に鍛えた力を生かせる場としても、やりがいのある仕事だった。プライベートでは3人の子どもを持つ母となり、自身の子育てにも奮闘する日々。さらに、そのころ転職した夫を、心理的にも経済的にも支え続けた。

子どもが集う自宅のスペースには、おもちゃや学習道具などが並んでいる。いっしょに料理をすることも。
転職後、保育士のひとりとして勤務した前川さんだったが、高齢のため引退した園長に代わって、数か月後には園を任されるようになる。保育の内容はもちろん、イベントの企画、集客の方法など、すべて自分で企画し、実践する。そして、その結果も引き受ける。責任は重いが、手ごたえも感じられた。当初、経営的にも苦しい状態が続いていたが、黒字にこぎつけるまでに改善させた。だが、経営者が変わり、方針が一変するという不可抗力に直面。園長として4年間務めたプリスクールを離れざるを得なくなった。努力して手にしたものを失ってしまう──つらい時期が続いた。
再び立ち上がるきっかけとなったのは、つながっていた母親たち。「愛奈先生に子どもを預けたい」という声が届くようになった。「それなら、自分で始めればいい」という夫からのアドバイスもありがたかった。
こうして、起業に向けての準備が始まった。まずは、自宅で開業できるような家探しから。他の場所を借りてのスタートは負担が大きいと判断したためだ。幸運にも、子どもが集える場所を持てる物件を近所で見つけ、家族とともに移った。また、起業セミナーなどにも参加し、そのノウハウも学んだ。

自宅の1階がAプラスアカデミー。ポストも兼用。
Aプラスアカデミーを開業して半年あまり。現在、預かっているのは2〜4歳児が数人である。英語での遊びを取り入れたり、いっしょにお昼ご飯を作ったり。近くの公園に行くなど、外遊びもできるだけ取り入れる。すべては自分の裁量次第。「ストレスも減って、毎日が楽しい!」と笑顔で語る。

子どもを預かるだけでなく、教育の場となることも目指している。英語のレッスンも随時実施。
長年、求め続けた自由、そして自分らしさ。その思いを形にし、新ビジネスで実践する。チャレンジャー前川さんにとっての本格稼働は、まさにこれからである。
[ライタープロフィール]
伊藤ひろみ
ライター・編集者。出版社での編集者勤務を経てフリーに。航空会社の機内誌、フリーペーパーなどに紀行文やエッセイを寄稿。2019年、『マルタ 地中海楽園ガイド』(彩流社刊)を上梓した。インタビュー取材も得意とし、幅広く執筆活動を行っている。立教大学大学院文学研究科修士課程修了。日本旅行作家協会会員。