「起業」女子 〜コロナ禍でも前向きに生きる〜 第9回

結婚、出産、転勤、転職、さらに離婚、再婚……。さまざまな人生の転機に、生き方や活躍の場を模索する人たちは多い。しかし、自身で新しくビジネスを立ち上げるのは、容易なことではない。近年、自らの夢を叶えるべく起業した女性たちを取材。明るく前向きに努力を続ける姿は、コロナ禍における希望の光でもある。彼女たちの生の声を聞き、その仕事ぶりや日常に迫る。

エステ、メヘンディ、コロナ禍のマスク。私の世界を届けたい
ANKUR(アンクル)代表取締役、セラピスト
カーン江夏未花さん

取材・文 伊藤ひろみ
写真提供 アンクル

 

自分の好きになった世界、強く惹かれた分野をとことん追いかけ、自身のビジネスへとつなげる「起業」女子がいる一方、フレキシブルに多方面に活躍の場を広げる女性もいる。カーン江夏未花さん(36)が自身のエステサロンを開業したのは、2013年2月。彼女が28歳のときだった。

カーン江夏さんは山口県下関市彦島で生まれた。幼いころからモノづくりが大好き。絵を描いたり、Tシャツをデザインしたり、身の回りにあるものを使って、何でも作った。自分の世界を表現することに夢中になった。何よりの喜びは、それを笑顔で受け取ってくれる人たちが身近にいることだった。

 

皆を喜ばせたい。その気持ちは今も変わらず、モノづくりに向き合っている。

 

高校卒業後、静岡文化芸術大学に進学。生まれ育った島から遠く離れ、新しい世界へと踏み出した。専攻はプロダクトデザイン。「大学に入るまでは、デザイナーとアーティストの違いも知らなかったんです。それまでは、あくまで好きと思うことを自分のスタイルで作ってきただけだったから。初めて本格的にデザインの基礎などを学びました」

19歳の6月、東京で開催されたデザインフェスタに出展した。オリジナルグッズを制作・販売し、すべてソールドアウト。東京から静岡へ戻る車中、思わず叫びそうになった。「やった! 私の世界がみんなに受け入れられた」と。だが、家に戻り、『世界が100人の村だったら』というテーマのドキュメンタリーを見て、そんな思いも吹っ飛んだ。「世界の人々が必要としているものは、食べるものであり、日々の生活に必要なもの。私がこだわる世界なんて、ほとんどの人が求めていなかった」。そう気づき、愕然となった。

 

アート作品を制作するカーン江夏未花さん。

 

転機になったのはインドを旅したこと。「大好きなモノづくりを続けていきたい。でも、今の環境にいると世界の人たちが本当に必要としているモノを知ることができない。私とは異なる人々の暮らしを体験したい」。そんな思いからだった。

当時は、大学の学費を払ってもらっている立場。これ以上親に負担をかけたくないと、渡航費は自分で工面した。しばらく滞在できる場所を探したところ、たまたま希望に合ったのが、インドのコルカタだった。そこで午前はボランティア活動をし、午後はモノづくりの現場をあちこち訪ね歩いた。サリーの制作現場にも出向き、機織り技術の高さ、その美しさに魅せられた。しかし、それらを織っているのは薄暗い工場で黙々と働く人たち。10歳くらいの幼い子どもまでもが、労働者として加わっている。その現実に戸惑った。

そのインドで、ヘナという植物を使って、肌に絵や模様を描くメヘンディと出会った。幸運を呼んだり、邪悪なものから身を守ったりすると言われている身体装飾のひとつである。ホストファミリーの友人にメヘンディのプロがいた。もともとボディペインティングに興味があったカーン江夏さんだけに、そのプロセスの一部始終を目にして、アート心に火がついた。

 

メヘンディは、背中に描いたり(左)と腕の一部にペインティングしたり(右) 幅広く楽しめる身体装飾の世界。

 

翌年、再びインドを訪問。メヘンディの技術も磨き続けた。さらに、彼女の人生を左右する人と遭遇する。コルカタの雑貨店で働いていたインド人男性。運命的な出会いを経て、遠距離交際が始まった。

すっかりインドにはまったカーン江夏さん。大学卒業後、横浜へ引っ越した。インドの手作りグッズなどを扱う雑貨店の本社があったからだ。働きながら、インドのモノづくりの裏側を知ることができるのも魅力だった。だが、求人募集を見て、給与の低さにがっかり。これでは、定期的にインドへ渡り、現地でメヘンディやモノづくりを学ぶための費用を貯めることはできない。この就職先は断念せざるを得なくなった。メヘンディの技術を向上させ、身体を理解し、癒す仕事で生計を立てて行く道を模索する日々。偶然、横浜で声をかけてくれたのが、エステ業界の人だった。これが縁となり、エステティシャンとして就職。大学卒業1ヶ月後のことだった。

その年、インドで出会った彼が来日し、日本に3か月ほど滞在した。実家の両親にも挨拶を済ませ、23歳のときに結婚した。

エステティシャンとしての仕事が忙しくなり、メヘンディを描く余裕が持てなくなっていたころ、別のエステサロンから声がかかった。そこでなら、メヘンディもエステもできるようだった。迷わず、その道へ突き進んだ。手先が器用だったからか、明るく話し好きな性格が功を奏したのか、どんどん実績をあげていく。たちまち店のトップエステティシャンとなり、店の売り上げにも貢献した。

ちょうどそのころ、第一子を妊娠。仕事は多忙を極めていたが、その分学びも収入も多く、辛いわけではなかった。しかし、このままの働き方では、自分が主体となって子どもを育てることは難しいという壁に直面する。起業の要となった大きな気づきは、「今は与えられた環境の中で、上手くシステムを使いこなしているに過ぎない。自分の頭でサービスを考え出した上での収入かどうか。自分が本当に社会にとって必要だと思う仕事で稼げているか。何も考えたことがなかった」という現実。その結果、働き方を変える=独立起業という道だけが残った。

具体化したのは、エステサロンでのお客さんとの出会いだった。彼女のサポートやアドバイスを得て、一気に舵を切る。インドの家族のことも視野に入れ、株式会社として、アンクルを立ち上げた。

 

 

ハンドとともに、皮膚再生医療のためのマシンも導入。駒込のサロンにて。

2018年には、現在の場所で自身のサロンを開業。仲間のエステティシャンと2人で施術を行っている。しかし、それはあくまで彼女にとっての一部分。今もこだわり続けているのは、メヘンディや自身のアートの世界だ。コロナ禍では、オリジナルマスクを作って販売するなど、カーン江夏スタイルを広げる活動も続けている。

 

コロナもなんのその。ユニークでかわいい手づくりマスクを販売し、好評を得た。

 

現在、3人子どもを持つ母でもあり、インド料理店を経営する夫を支える妻でもある。しなやかに時代に向き合い、偶然の出会いも確実に次へとつなげてきた。常に前に向かって突き進んでいく、バイタリティに溢れた「起業」女子だった。

 

株式会社 Ankur(サロン)
〒170−0003 東京都豊島区駒込1−34−5 エスパス駒込駅前301
TEL:080−3014−2887
ankurhappy2038★gmail.com(★を@に置換してください)
https://www.ankur.jp

 

 

[ライタープロフィール]

伊藤ひろみ

ライター・編集者。出版社での編集者勤務を経てフリーに。航空会社の機内誌、フリーペーパーなどに紀行文やエッセイを寄稿。2019年、『マルタ 地中海楽園ガイド』(彩流社刊)を上梓した。インタビュー取材も得意とし、幅広く執筆活動を行っている。立教大学大学院文学研究科修士課程修了。日本旅行作家協会会員。

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