耳にコバン 〜邦ロック編〜 第3回

第3回 ボクの好きな先生

コバン・ミヤガワ

 

「黄色だね」

そう言われた。

 

ボクは黄色いらしい。

 

 

皆さんは、好きだった先生や印象に残っている先生はいるだろうか。

生きていればいろんな先生と出会う。

 

「ボクの先生」として記憶に残っている最古の先生は、保育所(親の都合でド級の田舎に住んでいたため、保育園なんかなかった)の頃の「アッコ先生」だ。

もたいまさこみたいな先生だった。

アッコ先生が作る自家製ヨーグルトが非常に美味しかったことを覚えている。

 

小学1年生の頃の担任は何を隠そう「ボクの母」であった。

家では「お母さん」、学校では「先生」。

小学1年生のボクはなかなか「先生」と呼べなかった。かと言って、学校で「お母さん」とも呼べない。

どうしても気恥ずかしいし、もどかしかったのだ。

それを割り切って受け入れるまで多少時間がかかった。

学校では1人の生徒でしかないのだ。

1年も経てば、「先生」と呼ぶことに抵抗はなくなったが、小学1年生の少年は少し寂しかったと記憶している。

きっと母も同じ位もどかしかったと思う。

 

そんなこんなで、これまでいろんな先生に出会ってきた。

ゆずを崇拝し、ギターとハーモニカを弾く先生。

何かにつけ「ガチンコ」というスローガンを掲げる先生。

「今日はねー」「そしたらねー」と語尾が絶対に「ね」の先生。

 

そんな先生方の中でも、ボクの記憶に強烈に残っている先生が1人いる。

高校2年生の時、クラスの担任だったK先生である。

 

K先生は女性教員で、高校2年生から卒業までの2年間、国語を教わった。

あの当時、年齢は40前後であっただろうか。

いつも真っ赤な口紅をしていた。髪は長く、背も割と高い。

出身は福岡で、博多弁で話し、笑う時はケラケラと大きな口で笑うのだった。ポカンと空いた穴のような瞳をしていて、嘘は全て見透かされているようだった。

お高そうなシャツを、お洒落な柄のスカートにタックインし、颯爽と教室に入って来るのだ。

 

性格といえば、今まで出会ってきたどの先生よりもトンがっていた。

物事はハッキリ言う人で、嫌いなものにはとことん「こういう理由で嫌い」と言える人だった。

そんな一面や、話の端々から垣間見える腕っ節の強さから察するに、昔だいぶヤンチャしていたんだと思う。

 

そしてなんといってもK先生はいろんなものが見えるらしかった。文字通り「いろんなモノ」が。

 

先生はまず、オーラが見えた。

ボクのオーラは黄色いらしい。

教壇からクラスを見渡し、「ここから見ると、お花畑みたいで綺麗なのよ」と言っていた。

 

次に幽霊も見えるらしい。

授業中も時々見えていたらしい。幽霊が廊下を歩いていたりしたとか。

 

極め付けは、妖怪。妖怪も見えちゃうらしいのだ。

「海ぼうず」なんかも見たことがあるらしい。

 

本当かどうかは分からない。

ただあまりにも飄々と言うし、嘘をつくような先生でもないので、個人的には信じていた。

「絶対ウソ」と信用しない友達もいたが。

正直、真偽なんてどうでも良く、ただただ先生の話が面白かった。

 

ボクはK先生が好きであった。高校で一番尊敬していた先生だろう。

教え方は上手いし、話は知的で面白い。

ちょっとの校則違反なら大目に見てくれる。

まぁ、ボクに校則を破る度胸なんてなかったが。

 

よく考えてみると、ボクが今得意としていることは、K先生が見出してくれたものかもしれない。

イラストを本気で描いてみようと思い立ったのだって、クラスの文集の表紙を先生に頼まれて描いてみたら、殊の外喜んでくれたことがきっかけだ。

物怖じせずに文章を書くことができるのだって、先生がボクの小論文を「もう手を入れなくていい、それくらいよく書けている」と自信をつけてくれたからだと思う。

 

K先生は今どこで何をしているのだろう。

噂で、どうやら先生をやめたというようなことを耳にした。

住んでいた家も空き家になっているとか。

どこかの街で、ちょっとトンガリながら、ボクらには見えない、いろんなモノを見ながら過ごしているのだろうか。

 

 

さて、「先生」の話を書いていると、やっぱりあのフレーズが何度も何度も頭をよぎる。

 

「ぼくのすきなせんせい〜 ぼくのすきなおじさん〜」

 

ボクの場合おばさんだが。

 

 

「ぼくの好きな先生」

RCサクセションの曲だ。

RCサクセションといえば忌野清志郎。

忌野清志郎といえば「キングオブロック」

 

日本ロック界のレジェンドである。

今回はRCサクセションをピックアップしたい。

 

RCサクセションは1968年に結成されたバンドだ。「クローバーからの継続(The Remainders of the Clover succession)」という意味で、その省略形である。

元々、忌野が中学生の頃組んでいたバンド「ザ・クローバー(The Clover)」が高校進学とともに解散し、その後メンバーを変えて新たに組んだバンドがRCサクセションだ。

 

そんなRCサクセション初のヒット曲が、1972年に発売された「ぼくの好きな先生」であった。

忌野の恩師である、美術の先生に向けて作った歌らしい。

 

その後鳴かず飛ばずの期間が長く、1980年、あの名曲「雨あがりの夜空に」が発売される。この曲によって、RCサクセションは一気に日本中で人気になる。

「雨あがりの夜空に」は今やロックンロールの定番の一曲となっている。

 

RCサクセションが日本のロック界に与えた影響は計り知れない。

まずあの派手なライブパフォーマンスだ。

逆立てた髪の毛、濃ゆいメイク、ド派手な色のスーツを身に纏い、首や手にはアクセサリーをジャラジャラ身につけ、縦横無尽にステージを練り歩く。それまでにはない華やかさをライブに持ち込んだ。

忌野がライブ中に叫ぶ「愛し合ってるかい?」という言葉も印象的だ。

 

そしてもう1つ大事なことが、徹底的に「日本語にこだわる」という点だ。

イントネーションにこだわり、ハッキリとわかりやすく日本語を発音して歌う。この点においては「英語っぽい日本語」や「英語まじりの日本語」を歌うキャロルとは対照的である。

前々回「日本語ロック」の先駆者としてはっぴいえんどを紹介したが、日本中のロック熱を一気に燃え上がらせたのはRCサクセションだといえよう。

 

今回はRCサクセションの名曲の中で、「カバー」という視点から日本らしさを見てみたい。

 

「カバー」に焦点をあてたアルバムがある。

1988年の『COVERS』というアルバムだ。

 

全曲カバーというアルバムで、ボブ・ディランの「風に吹かれて」やバリー・マクガイアの「明日なき世界」、エディ・コクラン「サマータイム・ブルース」など、洋楽の名曲に日本語の歌詞をつけている。

個人的にとても聴きやすいアルバムだと思っている。

 

しかしこのアルバム、問題があったことでも有名だ。

「サマータイム・ブルース」につけられた歌詞は、忌野が反原発をテーマに作った詞だった。しかし、発売元だった東芝EMIがこの歌詞を問題視し、発売が中止になる。

というのも親会社の東芝が、原子力に関連する企業だったからだ。

 

最終的に、このアルバムはキティーレコードという会社から発売され、発売中止問題での周知も相まってオリコンでは1位を獲得した。

 

歌詞の引用は省略させていただくが、このアルバムをはじめ、RCの歌詞はやはり明瞭でわかりやすい印象だ。

忌野の和訳がなんとも秀逸なのだ。

加えて語尾の「〜だぜ」や「〜じゃねぇ」など「ロックらしい」とでも言おうか、すこしワルさの垣間見える口調が歌を引き立てる。

 

そんなアルバムだが、洋楽のカバーは果たして「日本らしい」のか。

 

もちろん、原曲をそのまま歌うのであれば変わりはない。

しかし歌詞を日本語に訳す、あるいは全く違う歌詞をのせることによって、英語だったら何を伝えたいか分からなかった歌が「意味を理解できる」ようになる。そのような意義は「日本らしい」と言えるのではないか。

 

 

忌野のカバーで一番有名なのは、おそらく「デイ・ドリーム・ビリーバー」だろう。

この曲は、忌野がRCの他に結成したバンド、タイマーズの曲だ。

原曲はアメリカのバンド、モンキーズの名曲「Day Dream Believer」であり、あのコンビニのコマーシャルで有名だ。

皆さん聴いたことあるだろう。

ずっと夢を見るヤツ。安心するヤツ。

あの歌詞もキャッチーで明瞭で聴きやすい。

 

今回はキングオブロック、RCサクセションからカバーにおける「日本らしさ」を見てみた。

洋楽をカバーして、もっと身近に感じさせる。

これも「日本らしさ」として聴いてみてほしい。

 

 

[ライタープロフィール]

コバン・ミヤガワ

1995年宮崎県生まれ。大学卒業後、イラストレーターとして活動中。趣味は音楽、映画、写真。
Twitter: @koban_miyagawa
HP: https://www.koban-miyagawa.com/

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