耳にコバン 〜邦ロック編〜 第31回

第31回 色気って何色?

コバン・ミヤガワ

 

 

保健室の先生がアンヌ隊員だったらなぁ〜〜!

 

小さい頃、父とよく『ウルトラセブン』を一緒に観た。父が借りてきた『ウルトラセブン』やら『ガッチャマン』のビデオを観るのが楽しみだった。

今になって『ウルトラセブン』を観てみると、目が行くのはウルトラセブンでも、モロボシ・ダンでも敵の宇宙人でもなく、アンヌ隊員である。

 

アンヌ隊員役のひし美ゆり子を観るために、『ウルトラセブン』を観ていると言ってもいい。

愛らしさと美しさと、ウルトラ警備隊としての強さ、その全てが彼女の「色気」を醸し出している。「エロい」とか「セクシー」なんて簡単な言葉では表せない「色気」である。

出そうとしていないけど溢れちゃってる「色気」が一番ささるわけです。

 

保健室の先生がアンヌ隊員だったら、もう毎日通っていただろうね。どんなつまらないことでも保健室に行っていただろうね。

ところが現実、保健室の先生は往々にしておばさんなのである。ボクの経験上、小中高と保健室の先生は、優しそうなおばさんなのだ。映画とか、アニメでよくある「美人の保健室の先生」は都市伝説だと思っている。

 

「色気」とは不思議なもんで、不確かだけれど確かに存在する感覚だ。老若男女問わず「色気あるな〜」って人はいる。

 

昨今のミュージシャンで、椎名林檎ほど唯一無二の色気があるミュージシャンもいないだろう。

彼女の色気の正体は一体何なのか。

 

椎名林檎を初めて知ったのは、ずっと昔のガムのCMだった。ガム噛んでジュルリってするアレ。

椎名林檎がギターボーカルを務めていたバンド『東京事変』が始まりだった。子供ながらに「かっこいいヒトだなぁ」と色気の一端を感じ取っていたものだ。そこから東京事変を聴くようになり、当時ベースをやっていたボクは、ひたすらに亀田誠治のベースをコピーしまくっていた。

その後、椎名林檎のソロとしての活動にも注目するようになった。曲を聴けば聴くほど、彼女の色気に惹き込まれていく。彼女の歌を聴くだけで色気を感じてしまう。声のみならず、抑揚やシャウトその全てが艷やかで美しい。

 

でもそれだけではない。感情をここまで揺さぶる本質は、その歌声に乗って伝わってくる歌詞だ。難解で、私小説のような緊張感こそ色気の正体に違いない。今回は1999年のアルバム『無罪モラトリアム』をお供に掘り下げてみようじゃあありませんか。

「歌舞伎町の女王」という曲がある。歌詞の冒頭を見てみよう。

 

蝉の声を聞く度に めに浮かぶ九十九里浜
皺々の祖母の手を離れ 独りで訪れた歓楽街
ママは此処の女王様 生き写しの様なあたし
誰しもが手を伸べて 子供ながらに魅せられた歓楽街

十五に成ったあたしを おいて女王は消えた
毎週金曜日に来ていた男と暮らすのだろう

 

さすが自身を「新宿系」と称するだけはある。渋谷の「オザケン」、新宿の「シナリン」である。

歌詞というよりも小説っぽいですよね。「此処」とか「成った」とか、現代の文章ではひらがなで表記する言葉を、わざわざ漢字で書くあたり、一昔前の日本の小説の雰囲気がある。

冷たくて、混沌とした大都会の描き方って、東京を「冷凍都市」という言葉で表現したナンバーガールにどこか通ずるところがある。

椎名林檎最大の魅力は「曲と作ったヒト」のシンクロにある。ここまで曲とマッチしているミュージシャンはいまい。まさしくこの物語の主人公は、椎名林檎本人であろうと思うし、彼女以外考えられないのだ。「不動の女王」であると同時に「永遠の少女」なのである。

 

次に「丸の内サディスティック」の歌詞。

 

報酬は入社後平行線で
東京は愛せど何もない

リッケン620頂戴
19万も持って居ない御茶の水

マーシャルの匂いで飛んじゃって大変さ
毎晩絶頂に達して居るだけ
ラット1つを商売道具にしてるさ
そしたらベンジーが肺に映ってトリップ

 

うーん、意味分からん。ナンノコッチャ分からんです。曲調はジャジーで都会的。丸の内と言っているくらいだから、東京のことを歌っていることは、かろうじてわかる。

「リッケン620」「マーシャル」「ラット」「ベンジー」はいずれも、音楽にまつわるワードである。「リッケン620」はリッケンバッカーというギターの名前。「マーシャル」「ラット」はそれぞれアンプとエフェクターの名前。「ベンジー」は彼女の敬愛する『BLANKEY JET CITY』というバンドの浅井健一の愛称だ。まぁ、それにしたってわからないものは分からないんですがね。

東京のOLが日々のつまらない日常に辟易して、ギターを始めるみたいな曲ともとれる。しかし、この曲の色気ってそこじゃない。言葉遊びだと思うのだ。難解な言葉の中に、ふと聴こえてくる音にちょっとエッチで危なげな色気を感じる。

 

「リッケン620」は「リッケン・シックス・トゥー・オー」と歌っている。「リッケンバッカー」でいいのに、わざと「シックス・トゥー・オー」と加えている。「シックス」って「セックス」に聞こえるのだ。「絶頂」は直接的な表現ではないにしろ、言うまでもない。

「肺に映ってトリップ」の一節は、「肺」は「ハイ」、「映」は「鬱」と解釈できる。

つまり「鬱な状態がハイになってトリップする」というドラッグ的な言葉遊びに聴こえる。それは「飛んじゃっで大変さ」と一節にも繋がってくる。

このようなダブルミーニングのような歌詞が終始綴られている。

「なんだかわからない色気」は、このような隠された言葉を無意識的に感じ取っているからなのだ。

 

椎名林檎の曲の色気は、彼女の自身の妖艶さと、「日本文学的緊張感」「日本語の言葉遊び」の融合にあるのだ。

今や日本が世界に誇るアーティストになった椎名林檎。最近の曲、どれを聴いても「椎名林檎の色気」を禁じえない。

 

そもそも色気の「色」ってなんなんだと考える。ピンクなのか赤なのか。

椎名林檎を聴くと、強く思う。

「自分色」なのだと。

 

「色気の女王」椎名林檎様なのであります。

 

 

[ライタープロフィール]

コバン・ミヤガワ

1995年宮崎県生まれ。大学卒業後、イラストレーターとして活動中。趣味は音楽、映画、写真。
Twitter: @koban_miyagawa
HP: https://www.koban-miyagawa.com/

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