シャバに出てから──『智の涙』その後 第6回

第6回 一歩ずつ

矢島一夫

 むかし職業安定所、名称かわってハローワーク。ガキの頃から職安通い、古希すぎた今も安定した職業などは得られていない。
無期懲役なんだから、死ぬまで君は仮釈放なのだ。仕事をさがせ働けと、急かされ迫られ職さがし。
学歴職歴前科歴。書けない履歴書罪つくり。嘘とだましは嫌いな自分。背に腹は替えられず、少年院や刑務所に人生大半入っていたことを慝(かく)し隠してデッチあげ。
ハローワークにある差別、特別紹介係というのがあって、一般人とは別部門。
技能、資格、技術を問われ答える肩身のせまいこと。造園、調理、ガーデニング、建築、大工、指物、機械、いろいろ話す心は細い。
高年齢がネックになって、掛ける電話や面接は、すべて空振り、ノックアウト!
なけなしの金で面接まわり。バス、電車には乗らないで、見知らぬ町を歩々長時間。
そんな月日が半年続き、最後の企業面接でついにチョッピリ切れました。
技能・経験・年齢問わず。そう言うから面接に来た! ふざけんなバカヤロー! それを言うのが精一杯。暴言・暴力・大切れすれば、仮釈放は取り消され、オイラ死ぬまで塀の中。
ハローワークのハロー効果。ここにもあった差別と詭弁。無責任にも手に負えずギブアップの困り顔。苦肉の一手はご親切、高齢者でも働けるシルバー人材センターへ行けば仕事はありますだと。
そこへ行って登録しても500円の会員費はとられ、なかなか仕事はまわってこない。
ここでも少々切れました。500円の会費だけとり、仕事は持ってきもしない、これじゃ詐欺と同じじゃないか!
当時選挙で応援していあt市議会議員に話したら、動いてくれた5日後に突然仕事の紹介あった。
権力もつ者つよい者、持てない者は弱い者。見せつけられて怒りと笑い、心に余裕とり戻し、一歩のあゆみ伊達じゃない。
風に吹かれりゃ風に乗り、雨にうたれりゃ心を洗う。待ち疲れ死ぬ亡妻を、思えばマグマの大行進。夕焼けこやけの歌唄い、頑張り踏ん張り帰路の歩はこぶ。働く気になりゃ仕事はある。働く気がないんじゃないの!? 事情もわからずそんなこと言われた。跨ぐ玄関の敷居のなんと高いこと。
どんな技術を持っていても、見かけはどんなに元気でも、前科と高齢浦島太郎、IT関係機能がすべての社会、アナクロニズムの恥さらし。
やっと仕事にありつけば、最低賃金公園清掃。週3回の2時間と、週に6日の1時間、2つの公園かけ持ちし、稼ぎは月に4万強。
そこから1万8400円控除になるが、2万9600円は、国に返せとお召し上げ。
それでも仕事はつらくない。金では買えない素晴らしいものや人との出会いを培い、今がある。

【ライタープロフィール】
矢島一夫(やじま・かずお)
1941年、東京世田谷生まれ。極貧家庭で育ち、小学生のころから新聞・納豆の販売などで働いた。弁当も持参できず、遠足などにはほとんど参加できなかった。中学卒業後に就職するが、弁当代、交通費にも事欠き、長続きしなかった。少年事件を起こして少年院に入院したのをはじめ、成人後も刑事事件や警官の偏見による誤認逮捕などでたびたび投獄された。1973年におこした殺人事件によって、強盗殺人の判決を受け、無期懲役が確定。少年院を含め投獄された年数を合わせると、約50年を拘禁されたなかで過ごした。現在、仮出所中。獄中で出会った政治囚らの影響を受け、独学で読み書きを獲得した。現在も、常に辞書を傍らに置いて文章を書きつづけている。

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