赤毛のアンのお茶会 第26回

26回 なぜアンは、自分の赤毛が嫌いなのか?

南野モリコ

 桜の開花の声が聞こえる季節になりましたが、コロナ禍の冬はまだ続きそうですね。

 今月は、アンの嫌いな赤毛について深読みしてみました。このコラムが皆さんの心のお茶会になれたら嬉しいです。

 

イラスト:夢野みよこ

 

アンは、女の子である自分を愛している。

 L.M.モンゴメリ原作『赤毛のアン』は、プリンスエドワード島のアヴォンリー村でグリーン・ゲイブルズという農場を営む、初老のマシューとマリラ兄妹のところに、「男の子と間違って」女の子のアンが孤児院からやってきたところから物語が始まります。

 私が少女時代を過ごした197080年代の少女コミックには、男勝りな女の子をカッコいい! と愛でるブームみたいなものがありました。池田理代子著『ベルサイユのばら』や氷室冴子著『ざ・ちぇんじ! 新釈とりかえばや物語』を代表に、「女の子なんて窮屈でつまらない。男の子になるわっ」と言って、変装したり入れ替わったりする、男装の麗人的ヒロインが少女の憧れとしてあり、ひとつのジャンルとして成り立っていたと思います。

 筆者モリコも、そんな少女カルチャーに洗脳された一人であり、「私も男として生きる!」などと宣言しては親や友達に呆れられていました。

 

 しかし、どの作品も読んでいくと最終的には「赤く咲いても白く咲いても、しょせん薔薇は薔薇よ」(『ベルサイユのばら』)のように、「女は女として生きるのが幸せなのよ」という結論に辿り着くのが定番。そんな結末を読むたびに「やっぱり無理なの?」と夢をくじかれ、打ちひしがれていました。文学に酔いやすい子どもだったのですな。

 そんな「男の子になりたい女の子」ブームの中、小学4年生でアン・シャーリーと出会った時には、新鮮な驚きがありました。

 第2章で、ブライトリバー駅からグリーン・ゲイブルズに向かう馬車でのおしゃべりでも、アンは11歳にして自分を女の子として強く意識していることが分かります。女の子であることを愛し、謳歌しているのです。『赤毛のアン』にカルチャーショックを受けたのは、こんな背景があったからでもありました。

 「私たちが欲しいのは女の子ではなく男の子」とマリラに残酷なことを言われますが、アンがグリーン・ゲイブルズにいたいと恋願うのであれば、『ベルサイユのばら』のオスカルのように「男の子として生きて農作業を手伝おう」と考えてもいいと思うのです。

 実際、作者のモンゴメリも実家の農業を手伝っていましたしね。

 でも、アンは「私が女の子だから要らないんだわ」と自分を全否定されたことを嘆き悲しんでも「男の子になろう」とは決してしません。アンにとって女の子であることは、ゆるぎないアイデンティティなのですね。ま、単なる深読みですけどね。

 

アンは、本当は赤毛を愛したい?

 第2章の馬車のドライブで、アンは「そばかすも瘦せていることも想像で忘れられるけど、赤毛だけはどうしてもだめ」と、赤毛のせいで自分は完璧に幸せにはなれないと嘆いています。そばかすと違って長い三つ編みは、鏡を見なくても目に入ってしまいますからね。

 松本侑子訳『赤毛のアン』(文藝春秋、2019年)の巻末「訳者によるノート」によると、キリスト教では、赤毛には裏切者のイメージがあり、アンが赤毛を嫌う理由はそのためです。

 でもいくら赤毛が目に入るのが嫌であっても、アンは髪を短く切ろうとはしません。第27章の「緑の髪事件」で、世にもおぞましい緑色の髪になってしまった時も、「切るしかないね」というマリラの非情な提案に、アンは失望のあまり泣いてしまいます。

 赤毛は嫌いだけど、髪は失いたくないのです。豊かな髪があるから自分は女の子でありえるかのように、誇りに思っているんですね。

 自分の容姿が気に入らないアンは、せめて周りの友だちはきれいであって欲しいと願っています。腹心の友、ダイアナに会った時も「黒い髪と瞳」に魅了されます。スペンサー夫人に引き取られたリリー・ジョーンズという孤児の女の子ついても「とても可愛くて髪は栗茶色なの」と言っています。

 アンにとって、髪こそ女の子らしさであり、その髪を切られることは赤毛である以上に辛いことだったのです。

 孤児で物資も愛情も十分に与えられなかったアンにとって、自分にある「女の子らしいもの」は髪だけ。たったひとつ女の子を堪能できる髪の色が、こともあろうに赤だったのです。

 授業中、「にんじん」とからかわれ、石版でギルバートの頭を殴るくらい赤毛を嫌うのは、アンが自分の髪を愛したくても愛せないからだと深読みしました。

 それにしても、コンプレックスの赤毛をからかったギルバートが、髪以外の全ての幸せをアンに運ぶことになるとは。幸運とは、案外「これさえなければ」と思っているものがもたらしてくれるのでしょうか。ま、これも単なる深読みです。

参考文献

モンゴメリ著、松本侑子訳『赤毛のアン』(文藝春秋、2019年)

[ライタープロフィール]

南野モリコ

『赤毛のアン』研究家。慶應義塾大学文学部卒業(通信課程)。映画配給会社、広報職を経て執筆活動に。

Twitter:モンゴメリ『赤毛のアン』が好き!(@names_stories)

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