その6 噺家の「出」
広尾 晃
落語の面白さはいろいろあるのだが、トリビア的なところでいうなら「出」というのがある。文字通り噺家の「出」。登場シーンだ。
前の演者が頭を下げて下り、次の出囃子が鳴り、噺家が登場する。その間、ほんの数十秒の出来事である。舞台袖から中央に噺家が登場するだけのことだ。
しかし、これが実に個性的で味があるのだ。落語を聴きこんで、個々の噺家の個性が頭に入ると「出」が待ち遠しくて仕方がない。「出」だけでしびれてしまうのだ。
ー東京
五代目立川談志は「木賊刈」という地味な出囃子で出た。舞台袖にいるときから何か話したそうな顔で客席を見渡し、ゆっくりと出てくる。「今日は気分乗ってねえんだ」とでも言いそうな顔つきでお辞儀をすると、聞こえるか聞こえないかの声で何やら話し始める。客席はこの時点で、談志にくぎ付けになる。
先代の五代目三遊亭圓楽は、大奥とか御殿女中とかいうシーンでよく流れる「元禄花見踊」。ちゃーんちゃちゃんの派手なメロディに載って、軽く腰を折って満面の笑顔で出る。私はこの師匠に楽屋であいさつした時に、初対面でいきなり1万円のお小遣いをもらってたまげたことがあるが、サービス精神満点。客席は「あ、笑点の圓楽だ」とおもうのだ。
二代目古今亭志ん朝は早いテンポの「老松」に乗って、機嫌よさげに出てくる。若い頃は速足だったが、晩年はゆっくりと。ほとんどの人がお目当てだったから、出囃子がなるだけで、場内に歓声が上がったものだ。
八代目橘家圓蔵は「木曽節」、TVの人気者だった時代から、とにかく慌ただしく出てくる。人気者らしい華やかさがあった。月の家円鏡時代には「こないだ出てきたら、『円鏡、落語やってねえだろ!』って言われたんで、言ってやったんですよ。『こないだやったよ! かくし芸大会で』」。これで客席が揺れるように沸いた。
五代目春風亭柳朝は「白ざつま」。渋い出囃子で、ゆったりと出てくる。恰幅の良い身体、上等の着物。一種の迫力があった。同じ「白ざつま」だが、四代目三遊亭圓遊は、軽くて、地味で、古風な趣があった。
五代目柳家小さんは、「序の舞」で出るときと「のっと」で出るときがあった。どちらもまるで竹刀でもさげているかのように、武骨に出る。さりげない「出」だったが、存在感は抜群だった。
ー上方落語
六代目笑福亭松鶴は「船行き」。ドラの音が響き、重厚なメロディに乗って、ゆっくり出てくる。この師匠は足が悪かったから、膝を曲げて足元を見せることなく出る。よたよたしているのだが、迫力があった。
三代目桂米朝は「鞨鼓」。「娘道成寺」の鞨鼓踊りの部分だが、上方風で少しメロディが違う。肩をいからして、速足ですーっと出てくる。弟子の故吉朝がよく真似をしたものだ。
三代目桂春團治は「野崎」。東京の野崎は長唄三味線だが、上方は太棹風に重厚な音を出す。小拍子、銅鑼なども入り文楽の「新版歌祭文」をほうふつとさせる。舞台袖ですっと膝を曲げ頭を下げると、その姿勢のままゆっくりと出てくる。すでに「舞い」である。
五代目桂文枝は「のきすだれ」から「廓丹前」に変わった。扇子を片手に持って胸をそらせてゆっくり出てくる。企業の重役のように。
三枝改め六代目文枝は「のきすだれ」舞台袖でちらっと客席を見ると、客席がわく。「あ、三枝や」。人気者の出である。
二代目桂枝雀は「ひるまま」。長唄ではなく、寄席オリジナルのお囃子だ。この出囃子が鳴っただけで場内が沸いた。客席に顔を向けることなくニコニコして出てくる。一時期痛風を患っていた時は、足を引きずっていた。
名人上手だけでなく、新人の「出」も味わい深い。
九代目林家正蔵。こぶ平と言っていた前座時代、「前座の上がり」で出た途端に、客席に歓声が沸いた。「三平の息子」という七光りを全く隠さない天性の明るさがあった。
立川志の輔も前座時代に見たが、客席をじろっとねめまわす、前座とは思えない「出」だった。それもそのはずサラリーマンを経て落語家になったときには既に30歳になっていたのだ。
書きはじめるときりがない。「出」は、噺家の魅力をギュッと凝縮したものだと思う。「出」が好きになるころには、あなたは落語のとりこになっている。
[ライタープロフィール]
広尾 晃(ひろお こう)
1959年大阪市生まれ。立命館大学卒業。コピーライターやプランナー、ライターとして活動。日米の野球記録を取り上げるブログ「野球の記録で話したい」執筆。また文春オンライン、東洋経済オンライでも執筆中。主な著書に『プロ野球なんでもランキング 「記録」と「数字」で野球を読み解く』(イースト・プレス、2013年)『プロ野球解説者を解説する』(イースト・プレス、2014年)『もし、あの野球選手がこうなっていたら~データで読み解くプロ野球「たられば」の世界』(オークラ出版、2014年)『巨人軍の巨人 馬場正平』(イースト・プレス、2015年)『ふつうのお寺の歩き方』(メディアイランド、2015年)『野球崩壊 深刻化する「野球離れ」を食い止めろ』(イースト・プレス、2016年)『奈良 徹底的に寺歩き 84ヶ寺をめぐるルート・ガイド』(啓文社書房、2017年)等がある。