噺のつれづれ 第1回

その1 落語は歌舞伎のサブカルチュア

筆者は今は野球を中心とするスポーツの記事を書くことを生業としているが、大学の後半くらいから落語など古典芸能に夢中になり、雑誌『上方芸能』編集部で上方落語など古典芸能の取材や編集を行い、卒業後は当時は任意団体だった上方落語協会の事務局に入り「島之内寄席」の運営などを行った。

この間、東京の落語界にも足を運び、東西の噺家や古典芸能関係者の知己を得た。40年も前のことではあるが、上方でいえば六代目笑福亭松鶴、三代目桂米朝、三代目桂春団治、五代目桂文枝、東京でいえば五代目柳家小さん、五代目立川談志、三代目古今亭志ん朝、十代目柳家小三治など「昭和の名人上手」の謦咳に接したことは、筆者の大きな宝物になっている。

誠に僭越ながら、その折の経験をもとに落語についての徒然を書いていこうと思う。

まずは「落語とは何ぞや」、筆者なりの見解を披露したい。

「落語」にはいろいろな定義がある。まず、形式論から入ろう。

「落語とは“舌で描く芝居”である」とは、先年物故した二代目露の五郎兵衛の言葉である。舌だけで多くの人数が登場する芝居を演じることができる、五郎兵衛は落語の無限の可能性を語ったのだが、これは同時に落語という話芸が「芝居」の制約を受けているということも表している。

噺家(落語家ともいう)は、落語をするときに顔を左右に振って複数の登場人物を描き分ける。これを「上下(かみしも)を切る」というが、顔を振る範囲は、ほぼ十間(18m)とされている。

これは、昔の芝居小屋の舞台の間口と同じサイズだと言われている。

噺家は、芝居の寸法の中で演じるのだ。

そして落語という芸能は芝居(もちろん歌舞伎のことだ)の文化、価値体系の中で育ってきた話芸だ。

噺家が落語の中でしゃべる言葉は、芝居の「世話物(江戸時代当時の“現代語”で演じる芝居)」で出演者が話す言葉と同じだ。また、登場するときに演奏される音楽=出囃子の多くは、芝居の中で演奏される「情景描写」の音楽である「長唄」からとられている。

例えば三笑亭夢楽や蝶花楼馬楽、先代桂米紫(いずれも故人)などが使った「勧進帳」は、同名の芝居から来ている。露の五郎兵衛も同じ長唄の別の部分を使っている。

桂米朝の「鞨鼓」は、舞踊劇「京鹿子娘道成寺」から来ている。桂春団治、桂文楽の「野崎」は人形浄瑠璃「新版歌祭文」から来ているが、同名の歌舞伎芝居でも同じ曲を使うので歌舞伎由来といえる。

出囃子は近世になって考案されたものであり、特に東京では戦後になって本格的に使われた。しかし、落語と歌舞伎の親和性を物語る一例だとは思う。

また、落語には「芝居噺」というジャンルがあった。もとは、噺家が、舞台で役者の声色をして芝居をそっくりそのまま演じるというものだったようだが、のちには「芝居の真似をする部分が含まれた落語」という形に変わった。いずれにせよ芝居のカリカチュアを楽しむものだったようだ。

噺家の名前にも芝居を感じさせるものが多い。東京落語の「三升家」は市川団十郎家の家紋「三升」に因むものだし、そのものずばり「談洲楼(だんしゅうろう)」と名乗った噺家もいた。上方落語の「米団治」「春団治」などの芸名も、「市川左団次」など歌舞伎の役者名からとったものだろう。

江戸時代中期から昭和戦前くらいまで、芝居=歌舞伎は、庶民にとって最高の娯楽だった。いい男、いい女(男が演じているけれど)が、素晴らしい衣装を着て、華やかな舞台で、豪華な音楽とともに演技をする。歌舞伎がすごいのは、特に音楽だ。歌舞伎の一座は長唄、常磐津、清元節、義太夫節、荻江節、河東節などいくつもの音楽ジャンルを抱えている。どんなオペラの大劇団でも、クラシックとジャズと民族舞踊の楽団を常時抱えていることなど考えられないだろう。

昔の芝居見物については夏目漱石の『硝子戸の中』に味わい深いエッセイがあるが、お金持ちにとって芝居見物は、年に何度という大きなイベントであり、とても手が出ない庶民にとっては、ひたすら憧れの対象だったのだ。

戦後になると芝居の位置は、映画にとってかわられるが、それまでは芝居こそが娯楽の王様であり、贅沢の極みだったのだ。

落語は、庶民のそんな芝居へのあこがれの気分の中で醸成された芸能だと言えよう。

もちろん、今の落語は芝居とは無関係の部分も多いが、空気感においてはやはり通じる部分がある。

上方歌舞伎の最高峰だった故四代目坂田藤十郎の演技などを見ていると「落語そのもの」の空気を感じることがしばしばあった。

私の手元に、当代市川左団次などが落語を演じているテープがあるが、驚くほどうまい。明らかに素人ではない。やはり落語の話芸としての基本は芝居から来ているのだろう。

歌舞伎がお好きな人は、落語の世界に入りやすいだろう。歌舞伎と落語を一緒に好きになると、より深い理解が得られる。

落語というのは、芝居の世界から出た芸能であることをまず、ご理解いただきたい。

[ライタープロフィール]

広尾晃(ひろお こう)

1959年大阪市生まれ。立命館大学卒業。コピーライターやプランナー、ライターとして活動。日米の野球記録を取り上げるブログ「野球の記録で話したい」執筆。また文春オンライン、東洋経済オンライでも執筆中。主な著書に『プロ野球なんでもランキング 「記録」と「数字」で野球を読み解く』(イースト・プレス、2013年)『プロ野球解説者を解説する』(イースト・プレス、2014年)『もし、あの野球選手がこうなっていたら~データで読み解くプロ野球「たられば」の世界』(オークラ出版、2014年)『巨人軍の巨人 馬場正平』(イースト・プレス、2015年)『ふつうのお寺の歩き方』(メディアイランド、2015年)『野球崩壊 深刻化する「野球離れ」を食い止めろ』(イースト・プレス、2016年)『奈良 徹底的に寺歩き 84ヶ寺をめぐるルート・ガイド』(啓文社書房、2017年)等がある。

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