噺のつれづれ 第8回

第8回 三代目柳家権太楼のありがたさ

広尾 晃

 

もう20年も前になるが、上野の鈴本で女流大会と銘打って、東西の女性の噺家による落語会が催されたことがある。人気の出始めた人もおり、客席はいっぱいになっていた。

女性の噺家が並ぶ中で、客演として一人柳家権太楼(1947- )が、トリの前に出ていた。

女噺家たちは、汗をかいて熱演する。上の鈴本は若手にとっては檜舞台だ。しかも当時の女流はなかなか高座に上がることができなかった。どうしてもいつも以上に力が入る。入りすぎる。

その後にゆったり上がった権太楼は、客演だからお得意の枕もごくあっさりと本題に入った。確か「青菜」だったと思う。

 

ごくふつうに演じていたと思うが、客席は爆笑。心の底から笑っているのがわかった。トリは誰だったか失念したが上がりにくかったことだろう。私はこのとき、柳家権太楼の力量をしみじみと感じた。

この噺家は、当時、年間500席は演じると言っていた。とにかく高座数が多い。テレビで演じることも多い。寄席にも上がっているし、客演も多い。いつでも見ることが出来るという印象があって、プレミアムな感じがしなかったのだ。

また、権太楼は五代目柳家小さん(1915-2002)の弟子ではあるが、直系ではなく小さん門下の五代目柳家つばめ(1928-74)の弟子であり、師匠の死後直門になおっている。それだけに、傍系のイメージもあった。

しかし権太楼は、一級品の噺家だ。どんなネタを聞いても安心して聞ける上に、彼ならではの工夫もあり、いつも発見がある。

権太楼が真打に上がった頃、二代目桂枝雀(1939-99)が全国を席巻する人気があった。東西問わず、時代を同じくする噺家で、枝雀の影響を受けていない人はいないと思う。代表格が桂文珍(1948- )と春風亭小朝(1955- )だと思われたが、今にして思うと、この権太楼が一番、色濃く影響を受けているような気がする。権太楼の代表作とされる「代書」がそうだが、枝雀と同様、常識的な価値観が次々と崩れるような快感、面白さがあった。これも、ベースとなる話芸が強固だからこそできることだ。

気が付けば、この師匠も75歳。昨年には、腎臓がんで入院した。以後の回復は目覚ましいが、いつまでもこの人の話を聞き続けることはできないのだ、と痛感した。

 

お勧めは「火焔太鼓」。五代目古今亭志ん生(1890-1973)の代名詞のような噺だが、権太楼の道具屋が良い。かわいくて、強欲で、取り乱しようも程が良い。

江戸っ子のべらんめえが鋭すぎず、程よく滑稽味がある。裏長屋に住むちょっとヤクザな職人の味わいがあるのだ。

兄弟子の十代目柳家小三治のような「匠の包丁を利かせた一品料理」のような特別感はないが、ざっかけない器で食わせる気の利いた酒の肴のような味がある。

いくつも上げたい噺があるのだが、もう一つだけ。

「井戸の茶碗」

これは、人情噺系の端正な落語だが、権太楼は、こういうものも聞かせる。

この人は笑顔になると顔中がくしゃくしゃになるのだが、こわい顔つきをすると、厳かな雰囲気も作ることが出来る。二代目古今亭志ん朝(1938-2001)の、切れ味のよいさわやかな噺ではなく、やや本音が勝った、聞きごたえのあるストーリーに仕上がっている。

しかし、桂枝雀、古今亭志ん生、古今亭志ん朝の十八番をカバーして、十分に聞かせる噺家って、いまどきいるだろうか。

彼の力量恐るべし。

 

 

[ライタープロフィール]

広尾 晃(ひろお こう)

1959年大阪市生まれ。立命館大学卒業。コピーライターやプランナー、ライターとして活動。日米の野球記録を取り上げるブログ「野球の記録で話したい」執筆。また文春オンライン、東洋経済オンライでも執筆中。主な著書に『プロ野球なんでもランキング 「記録」と「数字」で野球を読み解く』(イースト・プレス、2013年)『プロ野球解説者を解説する』(イースト・プレス、2014年)『もし、あの野球選手がこうなっていたら~データで読み解くプロ野球「たられば」の世界』(オークラ出版、2014年)『巨人軍の巨人 馬場正平』(イースト・プレス、2015年)『ふつうのお寺の歩き方』(メディアイランド、2015年)『野球崩壊 深刻化する「野球離れ」を食い止めろ』(イースト・プレス、2016年)『奈良 徹底的に寺歩き 84ヶ寺をめぐるルート・ガイド』(啓文社書房、2017年)等がある。

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