耳にコバン 〜邦ロック編〜 第30回

第30回 最先端について

コバン・ミヤガワ

 

 

aiboとの出会いのことを、よく覚えている。

6歳か7歳のある日、いつものように祖父の家に行くと、それはあった。

居間の隅に、犬型ロボットがちょこんと座っていた。それは発売して間もない、最新のaiboだった。電気屋の血が騒いだのか、一人暮らしで寂しかったのかは分からない。祖父は、その当時十数万円もする最新型のロボットを突然買ったのだ。

もちろん父は困惑激怒し、祖父と父が稀に見る大喧嘩を繰り広げたことは今でも鮮明に覚えている。

そりゃ、父はまったくもって正しかったと思う。

 

とはいえ、子どもにとってはどうでもよかった。

「家にロボットがいる」

この事実だけでこんなにワクワクすることはなかった。ドラえもんが現実にやって来たようなものだった。一体、どんな事ができるのだろう。犬のように走り回るのか、もしかしたらタケコプターの1つでも出してくれるのではないか。

 

ところがこのロボット、てんで言うことを聞いてくれないのだ。

説明書によると「お手!」と言えば、お手をしてくれるらしかった。意気揚々とやってみた。

 

「お手!」と手を差し出す。

 

うんともすんとも言わない。それどころかボクに尻を向けてテクテク歩き出す。

大声で10回はやったと思う。10回目にしてやっと言うことを聞いてくれた。しかし、aiboは全く見当違いの方向に手をのばす。aiboの手が出た方向に、ボクから手をやらなければいけなかった。これじゃあどっちがお手をしているのか分からない。それでいてaiboはそれで喜んでいる。

大声を張り上げた挙げ句に、10パーセントの成功率。お手ひとつでこれである。癒やされるどころか、疲弊する代物だった。ほぼ野良犬でした。

 

「最先端なんてこんなものか」ボクはそう悟ったんだ。

 

祖父が亡くなって、aiboは家で引き取ったのだが、早々に置物と化したのだった。

 

 

気になって調べてみたのだが、まだaiboは進化を重ねて発売を続けているようだ。最近のaiboは本当に犬みたいである。

aiboに限らず、テクノロジーは毎年毎年、同じ割合で進歩するものではない。ある瞬間から、急激な成長曲線を描いて進歩しているように感じる。特にここ数年は、その曲線の只中なのだと思う。想像もしていないようなテクノロジーが次々と現れ、驚きっぱなしだ。

 

ロックに関しては、ボクはどうやら古いもの好きらしい。何十年も前の音楽を好んで聴いている。「最先端」とは言えないまでも、知らないバンドに出会うことは、ボクにとって疑いようもなく「新しい」ことだ。

 

しかし、たまたま「サカナクション」というバンドに出会った時、ボクは感嘆したんだ。

 

「このロックは間違いなく日本の最先端にいる」と。

 

サカナクションは、2005年に結成された、5人組ロックバンドである。今や日本を代表するロックバンドの1つになりましたね。

 

サカナクションって、いわゆる「ロック」な雰囲気とは違う。でも心を鷲掴みにするサカナクションのロックがそこにはある。

 

その理由を、ボクがサカナクションを聴き始めた3枚目のアルバム『シンシロ』とともに探ってみよう。

 

 

3曲目の「セントレイ」を例に挙げてみると、まず初めに聴こえてくるのは、シンセサイザーの印象的なイントロ。曲を通して、終始聴こえてくるシンセサイザーのリフ。

 

シンセサイザーの存在感こそ、サカナクションの魅力のひとつと言える。

シンセサイザーのリフといえば、Van Halen(ヴァン・ヘイレン)の「Jump」などが有名だ。名前は知らなくても、必ずと言っていいほど聴いたことがあるはずだ。確かに「Jump」も素晴らしい名曲。でもボク的には、ギターや、ドラムがグイグイ来る感覚が否めない。他の音を引き立てるためのシンセサイザーだと思っている。

ところが「セントレイ」は、逆転現象が起こっているんだ。シンセサイザーのリフを最大限引き立たせるような曲の構造。「縁の下の力持ち」のシンセサイザーではなく「主役」としてのシンセサイザー。ポップソングギリギリを攻めたロック! だからこそサカナクションの曲は、他のロックとは一線を画しているんだ。

 

9曲目の「涙ディライト」や10曲目の「アドベンチャー」も、最小限の音でボーカルの魅力を引き出す。それを可能にしているのは、紛れもなくシンセサイザーの繊細なサウンドである。

 

 

でも若かりし頃のボクは「どうして不思議とサカナクションが良いと思うのか」という漠然とした疑問を解決できないでいた。確かに『シンシロ』は素晴らしい。これまで聴いたことがない。でも「厄介懐古厨」のボクが「最先端」にこうも心惹かれるのはなぜか。

 

それは4枚目のアルバム『kikUUiki』を初めて聴いた時に気がついたんだ。

 

 

4曲目の「アルクアラウンド」。今度は歌詞に注目してみたい。以下、引用である。

僕は歩く つれづれな日
新しい夜 僕は待っていた
僕は歩く ひとり見上げた月は悲しみです
僕は歩く ひとり淋しい人になりにけり
僕は歩く ひとり冷えた手の平を見たのです
僕は歩く 新しい夜を待っていた

なんか、すごく日本っぽいですよね。「つれづれ」とか「なりにけり」とか、古文かっ!って感じ。そして「悲しみです」とか「見たのです」という「ですます調」の語尾。ボクは勝手にはっぴいえんど由来の「はっぴい調歌詞」と呼んでいる。

 

この歌詞を聴いた時思ったのだ。

 

「歌詞は懐かしい感じなんだ!」

 

今思えば「懐かしい」は正確ではない。「叙情的」と表現するほうが正しいかもしれない。日本語にこだわり、曲によっては言葉遊びを織り交ぜている。まさしく「はっぴいえんど」の歌詞にも似た感覚がある。フォーク由来の叙情性がそこにはあるのだ。

 

12曲目の「目が明く藍色」という曲の冒頭の歌詞。

制服のほつれた糸 引きちぎっては泣いた
変われない僕は目を閉じたまま また泣いた
藍色になりかけた空で たしかに君を感じて
制服の染みみたいな 嘘をついて泣いた
知りたいけど知りたくないことを知って 泣いた
藍色いや青い色した ずれて重なる光
探して探して

この曲大好きなんです。淋しげなんだけど、最後まで聴くと元気が出る曲なんです。

「糸」と「泣いた」の部分や「藍色いや青い色」の歌詞に、心地よく言葉遊びが織り交ぜられている。

 

ロックと言えばストレートな歌詞だろっ!!!

もちろんそれも好きだが、こだわりぬいた美しい歌詞も、やっぱり捨てきれない。日本らしさ溢れるアートなロックなんだ。

今まで「最近のロックなんて大したことねぇだろ!」と尖っていた「厄介懐古厨」のコバン少年を救ってくれたバンドの1つだったりする。

「ボクは今ロックの最先端を聴いているんだ!」と興奮したアルバムが『kikUUiki』だった。そこからますます音楽好きに拍車がかかることになる。

 

 

いつまでも、どこまでも新しい。日本が誇るサカナクション。

 

 

[ライタープロフィール]

コバン・ミヤガワ

1995年宮崎県生まれ。大学卒業後、イラストレーターとして活動中。趣味は音楽、映画、写真。
Twitter: @koban_miyagawa
HP: https://www.koban-miyagawa.com/

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