福島原発事故・小児甲状腺がん──当事者の声を聞きに行く 第1回

2011年の3・11から、今年で12年です。この3月から、新しい連載を不定期で始めます。連載タイトルは、「福島原発事故・小児甲状腺がん──当事者の声を聞きに行く」です。

まずは連載を始めるにあたり、著者の思いに耳を傾けてみましょう。

 

第1回 連載開始にあたって

棚澤 明子

「原発事故のときはどうなるかと思ったけれど、大きな被害が出なくて本当によかったね」

震災から10年という月日が過ぎたせいか、最近そうした声をよく耳にします。

 

福島第一原発事故の際に福島県で暮らしていた18歳以下の子どもたちのうち、いま、何人が甲状腺がんを発症しているのか、ご存知ですか?

 

338人です*。

そして、それは通常時に比べると35〜70倍の人数です。

身近な友人たちにこの数字を伝えたところ、何人もが「え、がんになった子がいるの!?」と驚きの声をあげました。

そもそも、がんになった子どもがいること自体を知らないのです。

決して社会問題に無関心な人たちではありません。震災時には必死に寄付を集めていたような心優しい人たちばかりです。

それだけ、報道がなされていないということなのでしょう。

 

338人という数字は衝撃的です。

でも、数字以上に大切なのは、そこには338通りの顔と名前があり、ニックネームがあり、初めて歩いた日があり、友だちとケンカをして泣いた日があり、部活に打ち込んだ日々があり、初めての恋があり、将来の夢があることです。

 

「大きな被害が出なくてよかったね」

何も知らずにそんな言葉で片付けてしまうのは、あまりに残酷ではないでしょうか。

「知らない」というのは、恐ろしいことです。

 

2013年の秋、「がんばろう東北」というポスターがすっかり色褪せていた東京で、私は幼い子どもを連れて福島から避難している母親と初めて出会いました。

すでに震災は終わったものだと思い込み、子どもを放射能汚染から守るために避難生活を続ける母親が大勢いることなど知りもしなかった私は、自分が何も知らないという事実に、そして彼女たちと東京の母親たちとの温度差に、大きな衝撃を受けました。

同じ母親として、そして「書く」という手段をもっている人間として、この事実を広く伝えたい。

そんな思いから原発事故被害にあった母親たちの話を聞き、自分の友人たちに伝えるような気持ちで書いたのが『福島のお母さん、聞かせて、その小さな声を』(2016)、『福島のお母さん、いま、希望は見えますか?』(2019)(ともに彩流社)という2冊のインタビュー集です。

 

本を書くにあたって、避難生活を送る母親たち、避難しなかった、できなかった母親たち、帰還した母親たちなど、実に様々な立場の母親たちに会いに行きました。

彼女たちが1人残らず口にしたのが、我が子の甲状腺がんへの不安です。

当たり前のことですが、放射性物質は県境で止まるわけではありません。

東京在住の私にとっても他人事ではなく、息子たちの甲状腺を案じて市民団体による甲状腺の検診に足を運んだこともありました。

 

そうこうしている間にも、甲状腺がんはじわじわと増え続け、通常であれば年間100万人中1〜2人であるところ、11年間で38万人中338人に達したのです。

ここには福島県の県民健康調査以外でがんが見つかった子どもや、福島県外で罹患した子どもの人数は含まれていません。

だから、正確に言えば「少なくとも338人」なのです。

 

2022年1月27日。

甲状腺がんの当事者である男女6人(事故当時6〜16歳、現在17〜28歳)が東京電力に対する提訴という形で立ち上がりました(その後1人が追加提訴し、現在は7人)。

原発事故による健康被害の責任を問う日本初の裁判です。

原告たちはこの裁判に勝訴して、被ばくとがんの因果関係を明らかにし、すべての甲状腺がんの子どもたちが生涯にわたってサポートを受けられる体制をつくること、そして自分自身がここから先の人生を前向きに生きていくことを望んでいます。

 

この裁判の特徴のひとつは、原告全員が徹底して匿名を貫いていることです。

被ばくとがんの因果関係を問い質すことは、「被ばくによる実害があった」と主張すること。原発事故による被害はなかったと思いたい人々や、原発政策を推進する人々など、一定の人々にとって、これほど都合の悪いことはないでしょう。

「甲状腺がんの話は“風評被害”の原因になる」というバッシングは、すでに起きています。

がんそのものの苦しみ、過酷な治療。「仕事は? 結婚は? 医療費は? 保険は? 住宅ローンは?」という、ありとあらゆる将来への不安。

その上さらに、誹謗中傷を浴びるリスクに怯えながらも立ち上がった若者たちに、私たちは何ができるのでしょうか。

 

私にとってこの連載に着手することは決して簡単なことではなく、情けないことではありますが、決断には長い時間がかかりました。

大人が推進してきた原発が起こした事故でがんを患った若者たちに向き合うことも、バッシングの脅威に向き合うことも、非常に大きな勇気を要することだったからです。

でも、まがりなりにも9年にわたって母親たちの「子どもを守りたい」という声を聴き続け、すべての子どもたちが健やかに育つことをともに願い続けてきた私がいますべきことは、若者たちの側に立ち、ひとりひとりの思いを聴き取り、彼らの存在にまだ気付いていない人たちのもとへ届けること。それしかない。

長い時間をかけて、そう思い至りました。

 

何も知らないまま、もう終わったことだと思っている人たちが大勢いることも事実です。

誹謗中傷に精を出す人たちが大勢いることも事実です。

でも、この甲状腺がん裁判を応援し、傍聴券を求めて長蛇の列をつくる人たちがいるのも、また事実です。

曇りのない目をもち、「被害をなかったことにはさせない」「若者たちをバッシングに晒してはいけない」と願う人々の輪に加わり、気運を盛り上げる一助となれれば、これ以上うれしいことはありません。

 

私たちは微力だけれど、無力ではないと信じています。

 

*人数は記事公開時。

2023年3月 棚澤明子

 

 

[ライタープロフィール]

棚澤明子

フリーライター。原発や環境、教育、食など、社会課題を主なテーマに執筆。著書は『福島のお母さん、聞かせて、その小さな声を』『福島のお母さん、いま、希望は見えますか?』『いま、教育どうする?』(弘田陽介氏との共著)(すべて彩流社)ほか。16歳、19歳の男の子の母親。

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