第12回 モータリゼーションとメキシコの暮らし
文・写真 伊藤ひろみ
もう一度、外国語にチャレンジ!
「外国語学習に年齢制限はない!」「ないのではないか?」いや、「ないと信じたい!」
そんな複雑な思いを抱えながら、まずは都内でスペイン語学習をスタートさせた。そして2023年2月、約1カ月間の語学留学を決行した。目指すはメキシコ・グアナフアト。コロナ禍を経て、満を持しての渡航となった。
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<第12回> モータリゼーションとメキシコの暮らし
グアナフアト滞在も2週間が過ぎ、メキシコでの生活、スペイン語の授業にも少しずつ慣れてきた。来たばかりのころはまだ肌寒い日もあったが、2月も中旬に入ると、日中は半袖で過ごせるようになった。平日の午前は、グアナフアト大学語学センターでスペイン語と格闘し、午後や週末は可能な限り町歩きをする。こじんまりした町なので、概ね歩いてどこでも行けるのはありがたい。
私にとっての問題は、町全体に細い道が入り組んでいること。最初は行先を見失い、何度か迷子になった(いい歳をした大人が迷子というのも、いささか違和感があるが)。だがそれも慣れの問題。町歩きを重ねながら、どこに何があるか、どの道を行けばいいか、いちいち調べたり誰かに尋ねたりしなくても、スムーズに動けるようになってきた。
もうひとつの問題は、急な坂道が多いこと。海抜約2000mという地理的条件での登り坂は結構体にきつい。駆け上がっていく若者たちを横目で見ながら、息を整え、ゆっくり歩く。まさに、poco a poco(ポコアポコ・ゆっくり、少しずつ)。
町歩きは危険と背中合わせ
とある日の午後、メキシコ人女性と市内を歩いていたときのこと。
“¡Ten cuidad! (テン クイダッ)”(ミニミニ・スペイン語レッスンを参照してください)
突然、彼女が大きな声で叫んだ。
グアナフアトは道が狭く、歩行者が歩きづらい。歩道が車道より一段高くなっているところは、人ひとりが通れる幅しかないことが多い。車に注意しながら、さらに前から後ろからやって来る人々をうまくかわしながら、進まなければならない。そもそも「歩行者優先」という意識のないドライバーがほとんどである。信号もなく、横断歩道も少なく、通りを渡るときなど、車の動きをよく見極めて行動することが大前提。カラフルでキュートな町並みや絢爛豪華な教会に夢中になってカメラを向けたりしていると、注意散漫になりやすい。私の場合、おしゃれなカフェの写真を引きで撮ろうとしていたとき、危うく車とぶつかりそうになったのだった。「慣れてきたと思っていても、まだまだだな」
初めての遠出は人気急上昇中のレジャーランド?
現地で出会った日本人女性と、郊外へ出かけることになった。最近人気の場所へ行こうとお誘いを受けたからである。グアナフアト市内から車で1時間半くらいのところにあるらしいが、彼女が車を出してくれるようなので、足の心配がない。ちょうどお休みの日だったこともあり、ふたつ返事で合流した。
グアナフアトの東、約50㎞に、サン・ミゲル・デ・アジェンデ(San Miguel de Allende)
という小さな町がある。そこからさらに10分ほど車を北へ進め、目的地のラ・グルータ(La Gruta)へと向かう。
「こんなところに何があるんだろう?」 ナビがないと見落としそうな殺風景な場所に、いきなり現れた施設、そこが昨今話題のスパだった。
すでに駐車場は車でいっぱいだったが、なんとか空きスペースを見つけて駐車。エントランスへと進む。入場料は一人250ペソ(日本円約1750円 取材当時)。支払いを済ませて中に入ろうとすると、入口にいた係員が待ったをかけた。スパに必要なさそうなものは車に置いてきたが、タオルや水着、着替えなどを入れた大きめのバッグを持っていた。彼はそれを指さしたのである。セキュリティチェック? 彼は私だけでなく、すべての客のかばんを開け、中を念入りに確認していた。
施設内は広かった。公園のような雰囲気で緑にあふれ、芝生も美しく手入れされている。プールが3つ。プールサイドなどには、デッキチェア、椅子やテーブルなどが置いてあり、リラックスできるスペースがあちこちに設けられている。おしゃべりしたり、プールの様子を眺めたりしながら、皆のんびり過ごしている。
さっそくプールのひとつへ。ぬるま湯? 熱くもなく、冷たくもない微妙な水の温度。入ってみると、思っていたよりも深い。私の身長なら、水(ぬるま湯)の高さはちょうど首のあたりくらい。プールで泳ぐというより、ほとんどの人はじっと浸かっているという感じである。そのプールの端には、洞穴のような通路が設けてあり、その先の洞窟スペースへと続いている。壁をつたって、奥へと進む。
洞窟スペースは外光がまったく入らず、設置された小さな灯りのみで薄暗い。洞窟の奥のドーム状の天井からは、ぬるま湯がザーザーと滝のように流れている。皆それに打たれようと、列をなしているのが見える。ものは試しにと、彼らに続く。滝修行ならぬ、洞窟打たれ湯体験。あまりの湯の勢いに、思わず体がひるんだ。
テーブルでひと休みしていると、すぐ横のプールが賑やかになった。ズンバ教室が始まったようだ。インストラクター二人がプールサイドに立ち、皆に手本を示す。プールに入っていた人たちは、その動きに合わせて、水中でエクササイズ。リズミカルな音楽もかかり、大人も子どもも楽しそう。皆ノリノリ!
温泉の日墨比較
グアナフアト州は温泉が多い地域として有名だとか。この付近にも、いくつかの温泉施設があるらしい。ラ・グルータは洞窟温泉として登場し、家族や友人たちとのんびり過ごす場所として注目を集めている。
温泉といっても、日本のそれとは異なる点が多い。まず湯の温度。ラ・グルータでは、どこもぬるま湯くらいの湯加減で、日本の温泉と比べてかなり低め。また、お湯を楽しむというより、施設そのものがレジャーランド的である。レストランやバーのほか、工芸品などを扱うショップがあり、マッサージサービスも行っている。遊ぶ、癒す、食べる、飲む、買うなど、楽しみ方の幅が広いが、宿泊施設はなかった。
入口で手荷物を念入りに調べられたのは、食べ物、飲み物が持ち込み禁止だったことによる。ということは、「施設内でしっかりお金を落としてね」というメッセージなのか。現地の物価からすると、入場料も決して安くはない。さらに、ここに来るには、自家用車が必要。私の場合、車を持っている人に誘ってもらったので来ることができたが、ひとりでは難しかっただろう。駐車場に横づけされた車種や施設内で過ごす人々の様子から見ると、ここでのんびり過ごせるのは、それなりの層といえるのかもしれない。
グアナフアト市内の観光名所などは、ほぼ徒歩圏内だが、郊外へ出かけたいときは、やはり車があれば便利。ホームステイ先のオルガさん宅も車を1台持っている。彼女は運転できないので、もっぱら夫の移動手段のようだが。オルガさん宅の周りにもガレージ付きの家が多い。近所へは歩きで、ちょっと離れた場所への移動は車で、そんな使い分けをしているようである。
日本の自動車メーカーのうち、トヨタ、ホンダ、マツダは、グアナフアト州に工場を持っている。その影響もあるのかどうか。グアナフアト市内を走る車を見る限り、日本車の人気は高そうだ。
誰に向けて、どんなビジネスをしているのか。じっくり暮らすなかで見えてくることが、いろいろある。
注意に要注意!
“¡Ten cuidad! “のtenは動詞tener(テネール・持つ)の命令法2人称単数形。日本語で命令というと「~しろ」的に強く受け取られがちだが、依頼的なニュアンスも含め、もう少し幅が広い。cuidadは、注意、用心などの意。写真を撮るのに夢中になっていて、車が来ているのに気づかなかった私に、メキシコ人が、Ten cuidad、「注意してね」「気をつけなさい」と言ったのである。
cuidadと同様、peligroso という言葉も早い段階で身につけた語彙のひとつ。こちらは、「危険な」「危ない」といった意味の形容詞。英語のdangerousにあたる。修飾する名詞に合わせて、性数一致させる必要があり、女性名詞につくときは、peligrosa、複数形は、それぞれpeligrosos、peligrosas となる。反対に、「安全な」「危険がない」という意味の形容詞はseguro。
Ten cuidadというフレーズはもとより、peligrosoやseguroは、日常会話でしょっちゅう耳にする言葉だった。安全が当たり前だと思っている者にとって、生活のさまざまな場面においてpeligrososに囲まれた生活は、よきにつけ悪しきにつけ刺激的である。
[ライタープロフィール]
伊藤ひろみ
ライター・編集者。出版社での編集者勤務を経てフリーに。航空会社の機内誌、フリーペーパーなどに紀行文やエッセイを寄稿。主な著書に『マルタ 地中海楽園ガイド』(彩流社)、『釜山 今と昔を歩く旅』(新幹社)などがある。日本旅行作家協会会員。