もう一度、外国語にチャレンジ! スペイン語を学ぶ ~メキシコ編~

第7回 グアナフアト、博物館から見えてくる文化の底力

文・写真 伊藤ひろみ

 「外国語学習に年齢制限はない!」「ないのではないか?」いや、「ないと信じたい!」

そんな複雑な思いを抱えながら、まずは都内でスペイン語学習をスタートさせた。そして2023年2月、約1カ月間の語学留学を決行した。目指すはメキシコ・グアナフアト。コロナ禍を経て、満を持しての渡航となった。

 

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 

<第7回> グアナフアト、博物館から見えてくる文化の底力

 

メキシコ中央高地に位置する小さな町、グアナフアト。カラフルに彩られた家屋やきらびやかな教会が織りなす景観の美しさもさることながら、文化度の高さでも注目に値する。グアナフアトは毎年10月、セルバンテス国際芸術祭(Festival Internacional Cervantino)が開催されることでもよく知られている。映画、演劇、コンサート、ダンスパフォーマンスなど連日多くの催しが行われ、世界中からやって来る観光客で賑わう。

国際規模の文化イベントがあるだけでなく、博物館、美術館、劇場などの文化施設が充実していることも、グアナフアトの魅力のひとつ。平日の午前はスペイン語の授業に出席し、時間に余裕がある日の午後や週末は、ぶらぶら町歩きをしたり、博物館や美術館を訪ねたりしながら過ごした。小さな町ながら、見るべき場所が多い。

今回はグアナフアトの博物館を取り上げたいと思う。

 

銃弾の跡、さらし首。歴史の舞台となった場所

グアナフアトの歴史を知るには、アロンディガ・デ・グラナディータス(Alhóndiga de Granaditas)がおすすめ。グアナフアト州立博物館(Museo Regional de Guanajuato)とも呼ばれ、この町を代表する博物館である。市内の中心、ラバス広場からフアレス通りを西へ進み、歩いて10分ほどのところにある。

この博物館に同行してくれたのはエドワルドさん。グアナフアトで知り合った知人のひとりで、日本語が堪能、歴史にも詳しいということでお願いした。

館内へ入る前、まずこの建物の外観をよく見るようにと彼のアドバイスを受ける。博物館というより、要塞のような存在感ある建物。色鮮やかな家屋が立ち並ぶこの町にあって、レンガ造りの薄褐色の建物は、無機質で味気なく見える。

アロンディガ・デ・グラナディータスの外観。奥に見えるカラフルな家屋群とは対照的

 

ここは19世紀初頭、穀物などを貯蔵する倉庫として建てられた。だが、1810年に独立戦争が始まると、突如歴史の舞台となる。そのキーパーソンの一人が、神父ミゲル・イダルゴ。彼は独立を目指して武装蜂起した一団を率い、ドローレスからグアナフアトへとやってきた。その動きを受けて、スペイン政府軍がこの倉庫に立てこもったのである。イダルゴ神父たちの解放軍と政府軍との激戦が繰り広げられるなか、それを切り崩すべく果敢に建物の中へと飛び込んだのが、坑夫ピピラだと言われている。グアナフアトの観光スポット、ピピラの丘でその像を見た、あの彼である(第4回で紹介しています)。

エドワルドさんが指し示す建物の外壁をよく見ると、そこここに銃弾の跡が生々しく残っていた。さらに、彼が続ける。解放軍が優勢だった戦況も政府軍が奪回し、解放軍を鎮圧。イダルゴ、ヒメネス、アジェンデ、アルマダの4名の指導者が処刑された。その後長らく、この建物の四方に彼らの首がさらされたという。目をこらして外壁の隅を見てみると、壁面に彼らの名前が刻まれているのがわかる。

グアナフアト出身のアーティスト、ホセ・チャベス・モラードによるイダルゴ神父やピピラを描いた館内の壁画も必見。2階へとつなぐ階段付近とその天井にあり、圧巻の迫力で歴史の重みを伝えている。

 

イダルゴ神父、ピピラなど熾烈な戦いの様子が描かれている壁画

 

エドワルドさんは、ピピラは実在せず、のちにつくられた想像上の人物だろうと説明する。しかし、彼はさらにこうつけ加えた。ここに飛び込み、独立のために果敢に戦った人たちがいたことは歴史の事実。彼らのことを忘れるわけにはいかないと。

アロンディガ・デ・グラナディータスでは、この地域で出土した土器などの古代遺跡の展示、銀の採掘場として賑わいを見せた時代の様子、さらに、紹介したような独立運動の軌跡など、グアナフアトの歴史を俯瞰できる。

平和でのんびりした町の雰囲気からは、まったく想像もつかないような過去が横たわっていた。

 

こんなものがこんなところに! 世界的にも珍しい博物館

この博物館を目当てにグアナフアトへやってくる観光客も多いと聞き、驚いた。そんなに珍しい博物館がここにあるのだろうか。

その名はミイラ博物館(Museo de las Momias)。ミイラといえばエジプトと想像するだろうが、なぜかグアナフアトにもミイラがいるという(ミイラは「いる」なのか、「ある」なのか。どちらが適切なのだろうなどと、ふと考えてしまうのだが)。

ミイラ博物館は西のはずれにある。滞在先から歩いて行けない距離ではなかったが、小1時間くらいかかると聞いて徒歩で行くのを断念し、ラパス広場前からバスに乗ることにした。

ほどなくしてミニバスが姿を見せた。すでに乗客でいっぱい。立っている人も5~6人いるが、乗り降りは前のドアひとつなので、人をかきわけながら、中へと進む。ギューギュー詰めのバスに揺られて、15分ほどで到着。外の空気を吸って一息つく。

チケット売り場前には長い列ができていた。薄暗い廊下を抜け、館内へと進むと、ガラスケース内に、ずらりとミイラが並んでいた。驚いたことに、彼ら(それら?)の多くは、立ち姿で展示されていることだった。しかも、苦痛の表情を浮かべていたり、何か言いたげだったり、妙にリアルなのだ。衣服や靴らしきものを身に着けた状態で残っているミイラもいる。さらに、妊婦あり赤ちゃんありと性別、世代も多様である。それにしても、なぜこんな姿のミイラがここに?

苦悩の表情を浮かべるミイラたち

 

この博物館の裏手は墓地で、多くはそこから出土したようだ。エジプトのミイラと違うのは、死体を残そうとして残したのではなかったこと。土葬された遺体が朽ち果てず、19世紀半ばになって、たまたまそれが発見されたという。グアナフアトの乾燥した気候、土壌の特質などにより、それが可能だったようである。展示されているものがリアルミイラだけに、あまり気持ちのいい場所ではないが、世界的にも珍しい博物館だと言えそうだ。

生後まもなく亡くなったと思われる赤ちゃんミイラ

 

グアナフアトが生んだ芸術家、ディエゴ・リベラってどんな人?

アロンディガ・デ・グラナディータスから東に歩いて徒歩3~4分のところに、ディエゴ・リベラ博物館(Museo Casa de Diego Rivera)がある。ディエゴ・リベラはグアナフアト出身の画家。ちょうど近くまで出向いたとある日の午後、訪ねてみることにした。

チケット売り場で「¡Hola!」と挨拶する。こちらの様子を見てわかったのか、「今から見学するの?」と受付を担当している若い男性スタッフに聞かれた。そのつもりで来たので、「Si(はい)」と答えると、さらに彼が続けた。「5時に閉まるけどいい?」

時刻は午後4時15分過ぎ。確かに、あまり時間がなさそうだが、また出直すことになれば、それはそれで大儀である。せっかくここまで来たのだから、とりあえず入ってみることにした。「もし時間が足りなかったら、明日また来て。このチケットで入れるようにするから」と言ってくれた。とっても親切。「¡Gracias!」とお礼を言って、さっそく中へ。

1886年、ディエゴ・リベラはここで生まれた。1階は、家具や調度品などがあり、かつて暮らしたころの様子がうかがえる。2階からは彼の作品が展示されている。興味津々で丁寧に見ていたら、途中で係員に「出てください」と追い立てられた。5時にはまだ10分ほど残っていたのだが。どうやら閉館が5時なのではなく、彼らは5時には帰りたいようだった。まだ見ていない作品がいっぱい残っているのに。仕方ない、また来るか。

翌々日の午後、再訪した。チケット売り場のお兄さんが顔を覚えていてくれたので、すんなり中へ入り、続きを見学できた。融通がきくところとそうでないところ、その加減がなかなか微妙だ。

ディエゴ・リベラの絵画や写真のほか、彼と交流のあった芸術家の作品などが、ずらりと並んでいる。スペインやフランスなどで絵画を学び、のちにニューヨークでも作品展が催されるなど、世界で活躍した。また、メキシコ壁画運動を牽引した人物としても名高い。私生活では結婚と離婚を繰り返すなど、なかなか破天荒だったようだ。なかでも、3番目の妻、フリーダ・カーロとは、メキシコが生んだ芸術家カップルとして広く知られている。

フアレス通りから一本北の通りにあるディエゴ・リベラ博物館の入り口付近

ドン・キホーテとともに冒険の旅に出よう

文学に興味があれば、ドン・キホーテ肖像博物館(Museo Iconográfico del Quijote)を訪ねてみては? ドン・キホーテとは、スペインの作家ミゲル・デ・セルバンテスによって17世紀初頭に書かれた小説。ドン・キホーテ、サンチョ・パンサなど、個性的なキャラクターが繰り広げる冒険物語で、日本語訳も多数出版されている。ここでは、作家セルバンテスに関連する資料や、作品をモチーフにした絵画や彫刻などに出会え、興味深い。毎年グアナフアトで開催されるセルバンテス国際芸術祭は、作家セルバンテスにちなんで称されたものである。

ちなみに、ドンはスペイン語でDonと表記される男性の尊称。日本では、この名を冠した商業施設をドンキと呼ぶことが多いが、なぜキだけをくっつけるのか。こんなところにも、言語の特徴が見え隠れしている。

ドン・キホーテ博物館。セルバンテス像が入口でお出迎え

 

これら4つの場所以外にも、ロスポデレス宮殿博物館(Museo Palacio de los Poderes)、プエブロ博物館(Museo del Pueblo)などがある。スペイン語でMuseoとは、博物館だけでなく美術館も指す。それもあってか、絵画などの美術品が中心の施設もあった。残念ながらどこも、日本語はおろか、スペイン語で書かれたパンフレットも置いていない(アロンディガ・デ・グラナディータスでは出口付近で有料のものを販売しているのを見つけたが)。また展示物などの解説は基本スペイン語。あらかじめ、ネットやガイドブックでなどで基本的な情報をチェックしておくと、より理解が深まるだろう。

プエブロ博物館には開館時間に合わせて午前10時に訪問したが、まだクローズしていて、入館には20分ほど待たなければならなかった。たまたまその日は遅かったのか、いつもそうなのかはわからないけれど。ディエゴ・リベラ博物館とは逆のパターンだが、いずれにせよ、時間の余裕をもって訪問したほうがよさそうである。

ミニミニ・スペイン語レッスン〈7〉

規則活用動詞

スペイン語の動詞は、主語の人称と数に合わせて6つの形に変化する(ラテンアメリカでは5つ)。活用のタイプから、以下の3つに分けられる。まずは規則動詞から慣れていこう。

★「-ar」動詞

(例)hablar(話す)

★「-er」動詞

(例)comer(食べる)

 

★「-ir」動詞
(例)viviir(住む)

[ライタープロフィール]

伊藤ひろみ

ライター・編集者。出版社での編集者勤務を経てフリーに。航空会社の機内誌、フリーペーパーなどに紀行文やエッセイを寄稿。主な著書に『マルタ 地中海楽園ガイド』(彩流社)、『釜山 今と昔を歩く旅』(新幹社)などがある。日本旅行作家協会会員。

 

 

 

 

 

 

[ライタープロフィール]

伊藤ひろみ

ライター・編集者。出版社での編集者勤務を経てフリーに。航空会社の機内誌、フリーペーパーなどに紀行文やエッセイを寄稿。主な著書に『マルタ 地中海楽園ガイド』(彩流社)、『釜山 今と昔を歩く旅』(新幹社)などがある。日本旅行作家協会会員。

タイトルとURLをコピーしました