シャバに出てから──『智の涙』その後 第8回

第8回 スポイルアウト

To be continue

矢島一夫

 それは起るべくして起った。仕事帰りの十字路。わたしは道路に倒れ、相手は自転車からおりて、手から落ちたスマートフォンを拾っていた。普段から歩きながらとか自転車や自動車を運転しながら小さな画面に目と心を奪われている人達を多く見かける。常識や節操のなさに憂いと危機感を持っていたがまさか自分がその禍に合うとは…。
すみませんとか大丈夫ですかの気使いもなく、スマートフォンを拾うのが先で、機器よりも自分の精神的なウィークネスに気付こうとしない。
自転車の脇で地に両手をついて這いつくばっている自分のぶざまさにカーッとした。しかし我慢した。ただそれだけでは「自分騙し」でしかない。道を歩いてる時に風に吹かれた紙くずが頬を叩いても、そのゴミを殴りつけるわけにはいかない。そう思い、忍耐の「くずかご」に捨てて行くことにした。
だが謝りもせず自転車に股がり去ろうとするその若者(30代位)は、片手ハンドルでまたスマホを操作していた。このままではいけないと思い、「オイッ! 待て」と声をかけたわたしを自転車の上から目線で「何か用があんの?」という顔つきをした。バカ者!年寄りだと思ってなめんじゃねえぞと一喝した。てめえの方からぶつかって来て謝りもせず何だその態度は! 仁王立ちになり全身のたぎりをわたしはぶつけた。しかし、たじろぐ若者を見て考えを切り変えた。
明日という字は明るい日と書く、そんな歌の文句をふと思いだした。明日を暗くするのも明るくするのも自分次第なんだな。日々の生活で起る様々な問題をどんな心構えでどのように対処するかで、自分のおかれている場所を天国にも地獄にもするんだと思った。こんな時こそ思慮分別をはたらかせ、自分を護り相手も助けてやらなければいけないと考えた。
大きな声を出してすまなかったな。どっちが不注意だったか否かの問題じゃなく気分直しにちょっと話しないか。とわたしは言った。近くの公園に行きベンチに座った。自販機で買ったジュースを飲みながら話した。
〈実はオレ永~いこと塀の中に入れられていたムショ帰りなんだ。忍耐・努力・工夫の大切さを身につけて出所したつもりでも、あんなアクシデントで年甲斐もなくガキの様に切れちゃったな。あの時あんたもキレていたら最悪の事態にエスカレーションしていたかもな。そうすりゃ俺はムショに逆戻りだしあんたの心と人生にも傷を残す事になったろうな。あんた良く耐えてくれたありがとう。〉
〈すいませんを言えないほどあの時はゲームの展回に夢中でした。本当に失礼しました。ケガした所はありませんか。〉
そう言う彼と、アクシデント事態に螢光灯にスイッチ入れた様な気がして苦笑した。
〈こんな社会だから、いつどこで何が起きるか判らない。だからお互いに耐えた事やアクシデントはこれからの自分をもっと成長させるモメントにしようぜ〉 そう言うと彼は、
〈町中どこをみてもスマホをいじくっている人たちばかりだし、やってれば楽しいからいつの間にか自分もそんな中の一人になっていたんです。嫌なことがあっても忘れられる、他人に迷惑かけなきゃいいんだと思う様になっていました。でも今日のできごとでこわい思いをしたから、今後はながらスマホはやめようと思います。友人達にも今日の事を話し参考にしてもらおうと思っています〉と話してくれた。
〈よく話してくれたね。ありがとう。実は俺書き物を長時間やったりするので運動不足になりいつの間にが足腰が弱っていたんだね。だから自転車にぶつかって倒れ、這いつくばった時みじめになった自分への怒りでもあったと反省しています。彩流社という出版社から『智の涙』という本を世に出してもらったのだけど、都合と機会があったら読んでみてください。きっと今日の事の原因や自分と社会はどうあるべきかという事のヒントが得られると思いますよ。アマゾンで検索してみてください。またどこかで会った時はよろしくね。たのしい話でもできるといいな〉
そう言ってわたしは帰路についた。「これから仕事なんですよ」と言って彼は駅方向に両手でハンドル握り自転車を走らせて行った。

携帯電話やパソコンなどIT機器が普及した社会は、もうそれを無くすこともできないし、そこから生じるひずみも歯止めがきかなくなっている。
生活における利便性とゴラク性のケジメがつかなくなっている人たち。アニメ・マンガ・ゲーム、そこからキャラクターの身ぶりそぶりや語呂を真似して恥ない人が遊び感覚で仕事・生活・事故を起こす。人間関係でドジ・ヘマをする。もちろんマンガチックな人ばかりではない。平和ボケしている人ばかりでもない。だが現実に歪みが目立っている。
家出ひきこもり失業ホームレスわが子虐待子殺し親殺し校内暴力いじめ自殺盗み性の切り売り盗撮いろんな形の運動暴発。そこでIT機器がどう活かされたのか?
さあどうする!誰がどうやって若者たちゆくべき道を軌道修正するのか。させるのか。
人間・生活・社会・自然にとって必要不可欠だから人はものを創造する。それを超えて売って儲けるために造る資本主義の害毒が社会のあらゆるトラブル・アクシデント・事件によって明証されている。
社会的な生活のあり方、文明の利器に頼りふりまわされる職種、それを考え直す必要はないだろうか。
労働や人間関係がIT機器に頼らずとも苦しまず不便ではなくなる構造にすれば、遊びや楽しみ方もきっと変るに違いない。まさに彼我を超えたコモンアジェンダーでしょう。

 

【ライタープロフィール】
矢島一夫(やじま・かずお)
1941年、東京世田谷生まれ。極貧家庭で育ち、小学生のころから新聞・納豆の販売などで働いた。弁当も持参できず、遠足などにはほとんど参加できなかった。中学卒業後に就職するが、弁当代、交通費にも事欠き、長続きしなかった。少年事件を起こして少年院に入院したのをはじめ、成人後も刑事事件や警官の偏見による誤認逮捕などでたびたび投獄された。1973年におこした殺人事件によって、強盗殺人の判決を受け、無期懲役が確定。少年院を含め投獄された年数を合わせると、約50年を拘禁されたなかで過ごした。現在、仮出所中。獄中で出会った政治囚らの影響を受け、独学で読み書きを獲得した。現在も、常に辞書を傍らに置いて文章を書きつづけている。

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