スージー鈴木のロックンロール・サラリーマンのススメ 第19回

第19回 「人生100年時代」という言葉に今思うこと

 

「人生100年時代」という言葉が好きではありません。というか、好き・嫌いというより苦手なのです。

 

いや、私は広告業界出身なので、例えば保険やサプリメントの広告コピーに、この言葉を使って商売するということには、さして抵抗感などない。

 

苦手なのは、「人生100年時代」という言葉の持っている、いや、厳密には、この言葉を使って何かを主張している人が醸し出そうとする、どこかポジティブで牧歌的な手触りなのです。

 

まぁ、リアルシニア世代で、この言葉をニコニコと受け止めている人は少ないと思うのですが、年齢が下がっていくごとに、この言葉の手触りがポジティブかつ牧歌的になっていく気がします。もしかしたら私(56歳)世代でも、この言葉を苦手に思わない人もいるかも――。

 

気になって調べたら、厚生労働省の『「人生100年時代」に向けて』というページには、「人生100年時代構想会議中間報告より引用」として、こう書かれています。

 

――ある海外の研究では、2007年に日本で生まれた子供の半数が107歳より長く生きると推計されており、日本は健康寿命が世界一の長寿社会を迎えています。

 

何や、そんな下の世代の話やったんか。私なんて関係あれへんやん――。

 

でも、せっかくなので、今流布されている「人生100年時代」という言葉について、もうちょっとこだわってみようと思います。

 

沢田研二75歳の誕生日に開催されたライブで配布された手ぬぐい。

 

  • もっと切羽詰まるべきではないのか

 

気になってくるのが、やはり私より下の世代、例えば40代あたりが、この言葉から、どういう連想を受けるかです。例えば45歳だと「あと55年生きる」ということを目の前にして、「まだ、人生半分も行ってないのかぁ」と思うことでしょう。そうして、もしかしたら、第二の人生、つまり新しい自分への取り組みを遅らせるようになってしまわないか。

 

そう、問題を先送りさせる力が、この言葉には潜んでいる気がするのです。もしかしたら、私世代にも「まだ、人生半分くらいかぁ」「だったら、とりあえず60(65)歳の定年までは今のままでいるかぁ」とかと考えさせる力も持っているかも。

 

一体それは、誰の思い通りのことだろう。

 

逆の方向に考えるべきだと思うのです。仮に老い先が長いのであれば、だからこそ、新しい自分への取り組みを早めて早めて、これからの人生、第二の人生、つまりは余生を、少しでも楽しく、自分らしく、かつ自立的にするようにしないと。

 

55歳で会社を辞めた私が強く思うのは、「昭和の定年退職年齢=60歳から、好きなことだけを書いて・喋って、生活できるようになりたい」ということです。

 

55歳から60歳まで、猶予はたった5年。かなり切羽詰まっています。「人生100年時代」という言葉の持つ牧歌的な手触りの対極。

 

でも、この切羽詰まった感じの方が、これからの時代のシニア(手前)世代として、適切で的確で、そして正直だと思うのですが、どうでしょうか。

 

というのは、上岡龍太郎が亡くなってからというもの、彼が芸能生活を引退したのが58歳という事実に感じ入るからです。「まだ、人生半分くらいかぁ」なんて、のんびり構えている場合ちゃうやん、と。

 

というわけで、私が4年後、60歳になったらぜひ、JR全路線制覇記、都バス全路線制覇記、そして千葉ロッテマリーンズ全試合同行記などの仕事をご用命ください。

 

[ライタープロフィール]

スージー鈴木(すーじーすずき)

音楽評論家、小説家、ラジオDJ。1966年11月26日、大阪府東大阪市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。音楽評論家として、昭和歌謡から最新ヒット曲までを「プロ・リスナー」的に評論。著書・ウェブ等連載・テレビ・ラジオレギュラー出演多数。

著書…『桑田佳祐論』(新潮新書)、『EPICソニーとその時代』(集英社新書)、『平成Jポップと令和歌謡』『80年代音楽解体新書』『1979年の歌謡曲』(いずれも彩流社)、『恋するラジオ』『チェッカーズの音楽とその時代』(いずれもブックマン社)、『ザ・カセットテープ・ミュージックの本』(マキタスポーツとの共著、リットーミュージック)、『イントロの法則80’s』(文藝春秋)、『サザンオールスターズ 1978-1985』(新潮新書)、『カセットテープ少年時代』(KADOKAWA)、『1984年の歌謡曲』(イースト新書)など多数。

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