スージー鈴木のロックンロール・サラリーマンのススメ 第21回

第21回 「スーツが怖い」

 

 

今回は、「ロックンロール・サラリーマン、その後」とでもいうべき話をしてみたいと思います。

 

最近、私、スーツが怖いのです。

 

私自身は、スーツなんてもう着ません。例えばこの夏だったら、ずーっとTシャツ&短パンという、年齢(56歳)を気にしない、いちばん楽、かつオシャレのかけらもない格好で過ごしたオッサンなのですが(本当は楽とオシャレは両立するはずなのですが、そんな高次元には一生行き着かないはず)。

 

具体的には、スーツ姿の男性を見るのが怖いのです。さらにそれが集団になったら、めっちゃ怖いと感じます。ここでいう「スーツ姿」とは、ネクタイ着用を意味しません。減りましたね。ネクタイ。いいことだと思います。ただ、私が「スーツ感」を感じるのは、上下同色のものに限られるかも。

 

数年前の一時期は、これは極めて個人的な感覚でしょうが、そのスーツに東京五輪のピンバッジが付けていると、なぜか怖さが増しました。最近ではSDG’sの丸いバッジかな。東京五輪もSDG’sも、それそのものがどうこうというより、そういう小物、いや装備が付くことによって「制服感」が高まるじゃないですか。

 

あっ、そうそう「制服感」「組織感」ですよ。私が怖れるのは。ビジネスという目的に向かって、スーツという制服を着用して、バッジという装備も積んで、一心不乱に邁進する組織人――というのに抵抗感を感じるのです。なんでだろう?

 

スーツ姿集団の対極は井上陽水の母校前で1人、陽水の歌を歌うTシャツ姿かも。

 

  • スーツ姿による「圧」に気付けたという幸せ

 

というのは、私も数年前までサラリーマン、つまりは制服に身を包む組織人だったのですから。スーツももちろん、よく着ましたよ。ただ着用回数は、時代の流れの中で、どんどん減っていきましたけどね。

 

スーツって、着慣れると実はとても便利なのですよ。いちばん便利だと思うのはポケットの多さ。会社スマホと私用スマホを、左右の内ポケットに入れたりできるのは、本当に便利でした。

 

で、着ている当時、別に、スーツを着ている自分に「制服感」「組織感」が漂っているなんて思わなかったのです。「まぁしょうがないから着るかぁ」っていう感じで、外に何かをアピールしている/したいという感覚なんて、まるでありません。

 

でも、会社という組織から離れて、日々の仕事も、音楽評論家なんていう、会社的なビジネスから、もしやいちばん遠そうな仕事に追われていると、例えば繁華街を歩いているスーツ姿の男性集団が撒き散らす「制服感」「組織感」、さらに言えば「マッチョ感」が怖い。

 

そして思うのです。自分も、あんなオラオラ・ウェイウェイした圧を周囲に噴霧していたのだなと。あと、あのオラオラ・ウェイウェイした「圧」こそが、昭和の日本経済を支えていたのだろうとも。

 

幸か不幸か、私は退職することで、スーツ姿を怖いと感じるようなセンスを身に付けました(もしくは取り戻しました)。幸か不幸か分からないのですが、やっぱり、いいことなんじゃないかな。だって、今の日本に必要なのは、マッチョやオラオラ・ウェイウェイに対する繊細なセンスだと思うから。

 

山崎正和『柔らかい個人主義の誕生』(中公文庫)という本が出たのが1984年だそうで、という書きっぷりで分かるように、私自身は読んじゃいないのですが、それでも「柔らかい個人主義」とかいうものを、本の発売からそろそろ40年も経とうかというタイミングで、私は体得したのかもしれません。やっぱり、いいことなんじゃないかな。

[ライタープロフィール]

スージー鈴木(すーじーすずき)

音楽評論家、小説家、ラジオDJ。1966年11月26日、大阪府東大阪市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。音楽評論家として、昭和歌謡から最新ヒット曲までを「プロ・リスナー」的に評論。著書・ウェブ等連載・テレビ・ラジオレギュラー出演多数。

著書…『幸福な退職 「その日」に向けた気持ちいい仕事術』『サザンオールスターズ 1978-1985』『桑田佳祐論』(いずれも新潮新書)、『EPICソニーとその時代』(集英社新書)、『EPICソニーとその時代』(集英社新書)、『平成Jポップと令和歌謡』『80年代音楽解体新書』『1979年の歌謡曲』(いずれも彩流社)、『恋するラジオ』『チェッカーズの音楽とその時代』(いずれもブックマン社)、『ザ・カセットテープ・ミュージックの本』(マキタスポーツとの共著、リットーミュージック)、『イントロの法則80’s』(文藝春秋)、『カセットテープ少年時代』(KADOKAWA)、『1984年の歌謡曲』(イースト新書)など多数。

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